作品概要 空間現代との共同作業で初めて、事前収録による録音を使用して制作。ロシア民謡『どん底の歌』、昭和歌謡や革命歌をミックス、広大なユーラシア大陸の広がりと人々が押し込められた木賃宿の閉塞状況の対比を鮮明にし、役者の自殺によって一度途切れた音楽が再び鳴り出すラストシーンは圧巻。

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撮影:松見拓也


 

2017  
日程・会場

2017.11.9-19 アンダースロー 

2018  
日程・会場
2018.1.1-7 アンダースロー
2021  
日程・会場
2021.8.24-30 アンダースロー
2021.11.18-21 吉祥寺シアター
マキシム・ゴーリキー
翻訳 神西清
演出 三浦基
音楽 空間現代
出演
2017年度版
安部聡子
石田大
小河原康二
窪田史恵
小林洋平
田中祐気
秋本ふせん(上演時・麻上しおり)
酒井和哉
 
2021年度版
安部聡子
石田大
小河原康二
窪田史恵
小林洋平
田中祐気
相生翠
岸本昌也
スタッフ
美術:杉山至
衣裳:コレット・ウシャール
衣裳製作:清川敦子
照明:藤原康弘
音響:西川文章
舞台監督:大鹿展明
宣伝美術:松本久木
制作:田嶋結菜
主催・企画制作 合同会社地点
助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)

 

 

地点の『どん底』について ​中村唯史

 「地点」の『どん底』には、ルカが出てこない。その台詞は他の登場人物に分散されている。私はルカの人物像が好きだったので、少し惜しい気がして演出の三浦基さんに水を向けてみたら、「ルカがいると物語になってしまうから」という回答が返ってきた。炯眼と思う。
 『どん底』執筆時のゴーリキーは、同時代のチェーホフの作劇術の影響を受けていた。明確な筋も主人公も持たないチェーホフの戯曲は、しかし「到着と出立」を舞台上の時間の始めと終わりとしている。たとえば『桜の園』(1904)は、ラネーフスカヤ達の桜の園への帰還から再出立までの物語である。
 『どん底』の場合には、ルカの木賃宿への出現と、そこからの退去がこれに当たる。「地点」の舞台は、そのルカを消去することで、もともと希薄な『どん底』の枠組を完全に揚棄しているのだ。構成原理のない時空間に響く、「どん」と「ぞこ」の挿入によって意味を亜脱臼されたような言葉の氾濫。鬱然としたエネルギーが反復されていくような今回の舞台は、もともと解体の瀬戸際にあった『どん底』という戯曲の解体を徹底して、最終的には深くゴーリキー的であると思う。
 初演を観たとき、闇の中から「どん…底!」という声が響いてきたとき、「そうか、そう来たか」とうれしくなったのだが、最後に題名について少し触れておこう。 執筆時、ゴーリキーはこの戯曲を『夜の宿泊所』と呼んでいた。その後、『人生の底辺で』という題名を準備したが、この説明的な題は不評で、モスクワ芸術座の演出家ネミーロヴィチ=ダンチェンコが「人生の」は不要とばっさり切り捨てたという。その結果、この戯曲のロシア語の題は『底辺で』となった。  
 この原題に『どん底』という、すばらしい日本語訳を当てたのは、ロシア文学者の昇曙夢だったようで、彼の訳で1910年10月に『脚本どん底』が刊行されている。ただし、本邦初演は、同年11月に小山内薫が『夜の宿』(これは1903年のドイツでの初演時の題名と同じ)として「三田文学」に訳出した脚本による、翌12月の自由劇場である。その後しばらくは『夜の宿』という題で上演されていたが、1936年の新協劇団による上演時に『どん底』の題が用いられ、その後はこちらの方が定着していった。  
 昇曙夢が選択した「どん底」という語が100年以上の時を経て「どん」と「ぞこ」に解体され、さらにゴーリキーの台詞を寸断していく。地点の『どん底』はおもしろい。言葉は流転するという感を強くするのである。

出典:当日パンフレット