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マヤコフスキー研究会 第3回
講師:杉山博昭(早稲田大学高等研究所助教)、鴻英良(演劇批評家)

聖史劇からアヴァンギャルド演劇まで~マヤコフスキーの視界を覗く
 

 

杉山:早稲田大学の杉山です。今日はこのような形でお招きいただき本当にありがとうございます。私は学部はICUで、その後は東京でサラリーマンをやっておりました。脱サラした後に京都大学でマスターとドクターをやったのですけれども、このような形でここに戻ってこられることは、本当にありがたいなと思っている次第です。

 

最初にレジェメの確認ですが、8枚お配りしています。発表中にこれを逐一読み上げたりということはいたしません。後ほど参考になればということで、資料的に持ってきただけですので、ここに書かれている小難しいことに煩わされなくてもよろしいかと思います。スライドを中心に発表を進めてまいりますので、前のほうだけ見ていただければと思います。

 

私はルネサンス、イタリア15世紀の宗教劇を専門にしておりまして、今日はその「聖史劇」の概要を皆さんにお話したいと思っております。あまり難しいことも言いませんし、本当に今日は簡単なお話なので、気楽に聞いていただければと思います。

 

私自身はイタリアの15世紀が専門なので、ロシア・アヴァンギャルドも、もちろんマヤコフスキーもほとんど知らなくてですね、『ミステリヤ・ブッフ』という戯曲の存在も今回初めて教えていただいたという感じなんですね。でまあ、どこから話を始めようかというところなのですが、ロシア・アヴァンギャルドといえばイタリアの未来派だろうということで、未来派からちょっと取っ掛かりを作っていこうかと思っています。アントン・ジュリオ・ブラガーリアという未来派で活躍したアーティストがいまして、今は写真家として一番有名だと思います。フォトディナミズモといわれる実験写真を撮っておりまして、見ていただいているような、多重露光や長時間露光を使って人体や人物の運動を写真に収めようとしていた人ですね。

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AG・ブラガーリア「セルフ・ポートレイト」1913


最近このフォトディナミズモが再評価されておりまして、よく話題に上る人なんですけれども、この人は演劇もやっておりまして、というかむしろ生前は演劇がメインだったのだと思うのですが、こういった経歴を持っているんですね。

 

アントン・ジュリオ・ブラガーリア(1890-1960)略歴≫

1922「インディペンデント・シアター」設立

1923「ルネサンスの祝祭のような」壮大な野外劇を企画

1929『革命の演劇』出版

1929-30 ブレヒト『三文オペラ』上演

1937「芸術劇場」総監督に就任

1948 ロルカ『イェルマ』上演

 

ムッソリーニに深く取り入ろうとしていました。ムッソリーニ統治下でも自分のやりたいことをきちんと連続性を持って継続したという風に現在評価をされています。ブレヒトをイタリアで初めて上演したのは彼だったと思います。ムッソリーニ政権が倒れて戦後になったときにもロルカを上演している、そういう人だったんですけれども、23年にムッソリーニに宛てて手紙を書いているんですね。ルネッサンスの祝祭のような、大規模なとにかく総合芸術をやりたいので予算をつけてほしいと。これは却下されるんですけれど、この後ムッソリーニのお気に入りになって、37年に「芸術劇場」という、ファシズム政権の国立劇場のようなものですが、ここの総監督に就任しています。

 

ここから、では「ルネッサンスの祝祭のような」と言ったときに、23年ということもあり『ミステリヤ・ブッフ』も時期的に近いものがありますが、どういったものをブラガーリアが想定したのだろうかということを振り返っていこうかと思います。

 

20世紀前半に考えられていた中世の宗教劇というのはおそらく21世紀前半に生きるわたしたちが考えるものとは異なるものですね、当たり前ですけれども。中世宗教劇の研究というのは、19世紀末から20世紀前半に掛けてようやく始まったもので、ブラガーリアがそこでムッソリーニに直訴するときに参照していたもの、そういった流行のスペクタクルのようなものであったと。その、ブラガーリアとか若しくはマヤコフスキーが参照していた中世宗教劇と、いま最先端の研究が明らかにする宗教劇というのは若干差があることはふまえなければなりません

 

もうひとつは、そもそも国ごとに中世宗教劇というのは異なっていまして、当時の彼らはどの宗教劇を参照していたのだろうということは、ひとつ気にしなくてはいけないことなのかなと思うんですね。

 

イギリスの神秘劇、フランスの受難劇、ドイツの聖体祭劇、イタリアの聖史劇、ざっくり分類すると、こういった典型的な4つのものがあるんですけれども、おそらくですが、ブラガーリアはフランスの受難劇のようなものを想定していたのかなという気がします。イタリアの聖史劇もある程度は参照していたとは思います。私は専門がイタリアなので、この4つ目のイタリア聖史劇のことしかお話できませんが、それぞれ4つの種類があるといっても、共通項があったりするので、そういったところで皆さんの興味に引っ掛かるところがあるといいなあと思っております。

 

演劇史的には、聖史劇というのは15世紀に始まって、16世紀に入るくらいに終わってしまうすごく短命な宗教劇、いま言う聖史劇はイタリア聖史劇のことですが、イタリアではそのような形になっています。演劇史的に振り返ると、聖史劇の前身といわれている演劇的な表象は3つありまして、王の入城式と、典礼劇と、大道芸人とか吟遊詩人のパフォーマンスがあっただろうと言われています。王の入城式というのは、その土地の統治者が変わったときに、その新しい統治者を市民が迎える、華々しく迎えるためのそういった儀式ですね。町の中を練り歩くコースにしたがって、活人画であるとか、そういった出し物が用意されると。典礼劇は中世のカトリック教会のミサの中で演劇的な表象が少しずつ練り上げられていった、ということがありまして、それが聖史劇につながっただろうと言うことができます。この3つの要素が聖史劇を作ったのだろうということが確実に言えるのですけど、どうして聖史劇が終わってしまったのか。ここで15世紀の半ばから古典古代復興、いわゆるこれがルネッサンスと呼ばれるものなんですけれども、これが始まりました。あとはグーテンベルグの活版印刷術がいよいよ本格的に稼動し始めるのがこの時期になります。この2つが決定打となって聖史劇はその役割を終えたと今は考えられております。少なくともイタリア・フィレンツェではそうですね。フィレンツェではですね、その後どういう時期が始まったのかというと、これは演劇史の教科書でもよく触れられるところなんですけども、古典劇、ローマ悲劇、ギリシア悲劇のテキストが発見・翻訳されて注目を集めるんですね。この聖史劇と古典劇の間に断絶があるとよく言われます。なので、イタリアの演劇で言うと、このあとオペラが始まったりとか、コンメディア・デッラルテが始まったりとか、輝かしいイタリア演劇史が始まるのですけれども、それはこの古典劇から始まるのであって聖史劇のそれとは関係ないという言われ方を結構最近までされていました。そういうわけで、聖史劇はつまらない演劇であったのだという風な先入観で語られがちということが、まあ20世紀の半ばくらいまでありました。ただ最近はこの聖史劇から古典劇へ向かって、一部の舞台装置、機械仕掛けの舞台装置の使い方ですとか、運用に関して、古典劇の上演に影響を与えていたということが少しずつ明らかになっている状況です。

 

簡単に定義をしますと、まず14世紀から16世紀のイタリア各地で、平信徒で構成される兄弟会、平信徒というのは、当時はほとんど全てがカトリック教徒でしたので、それを普通の一般市民と言い換えてもいいのかもしれませんが、要するにアマチュアだったわけですね。その兄弟会によって聖書や聖人伝に範をとったテクストを街路や広場、聖堂内を会場として、典礼劇場の祝祭日の行事として、もしくは貴賓歓待時の出し物として上演されるもの。とりあえずはこれを聖史劇とここでは呼ばせていただきたいと思います。この聖史劇というのは15世紀のフィレンツェにおいてひとつのピークを見せております。このピークというのがどのくらいピークだったかというと、上演頻度と上演規模に関しては、イギリスの神秘劇、フランスの受難劇をはるかに凌ぐ、ボリューム的には本当に宗教劇のピークがこの15世紀のフィレンツェにあっただろうということはおそらく確実に言えるだろうと思います。それは当時のフィレンツェが一番人もお金も集まるヨーロッパ最大の商業都市だったということがひとつの理由であろうかと思います。

 

そして、聖史劇の機能。ちょっと堅苦しい言い方になりますけれども、とりあえずこの5つを指摘することができると思います。

 

聖史劇の機能≫

宗教的機能 :見て聞く「聖書」

教育的機能 :身ぶりとことば遣いの模範

見世物的機能:娯楽、もしくは通過儀礼

衒示的機能 :高揚と誇示、興奮と見せびらかし

政治的機能 :統治の正統性の承認


まず「宗教的機能」ですね。当時のフィレンツェはヨーロッパで最高の識字率を誇っていたんですが、それでも50%くらいなんですね。聖書を実際に読むことができない、もちろんそのときは活版印刷もそれほど普及していなかったので、手元に聖書があるわけではないのですが、このような形で上演することで、見て聞くことができるというのは信徒の宗教的な理解を深めるのに大きく役立つであろうということ、これがとにかく第一義なんですね。

 

次に「教育的機能」これは、15世紀のフィレンツェは商業都市でありまして、いわゆるビジネスマナーを若いころから叩き込んでいって、先々、ヨーロッパ各地で商取引を潤滑に行えるように身振りと言葉遣いの練習をさせようということで、子どもたちを舞台にあげたということが現在わかっております。これが「教育的機能」です。

 

「見世物的機能」というのは娯楽ですね。通過儀礼とここで言い換えているのは、後ほどお見せしますけれども15世紀フィレンツェの聖史劇に関してはこの見世物的効果が同時代の水準を踏まえるとちょっと常軌を逸するくらい激しいものでしたので、そういった空間に居合わせるというのはおそらく恐怖のようなものを感じることもあっただろうし、それを経てフィレンツェ市民として認められるというところが、非常にメンタリティにも大きく影響を与えただろうということで通過儀礼という言葉を挙げています。

 

「衒示的機能」これも経済用語ですけれども、要するに見せびらかしです。これだけお金があって技術があるんだっていうのを見せびらかす機会であったということが指摘できます。これは、フィレンツェのほかの都市に対する見せびらかしでもあり、個々の演目は個々の兄弟会のレパートリーとしてひとつ持っているものでもあったので、演目ごとに、受胎告知がそんなに激しいことをやるんだったら、キリストの昇天ももっとすごいことをやるぜといったような各兄弟会間の競争意識もあっただろうと。その意味で「衒示的機能」ということが指摘できると思います。

 

最後に「政治的機能」です。これは、メディチ家という名前は世界史の授業などでお聞きになっているかもしれませんが、当時のいわゆるメディチの支配を暗に刷り込みのような形で見ている人たちに納得させようということがテクストを分析していくと浮かび上がってくるということですね。

 

次に台本・身体(演者)・空間、この3つのカテゴリで聖史劇を整理してお見せしていきたいと思います。

 

まず、台本ということで文体なんですが、台詞は韻文(八行詩節:オッターヴァ・リーマ)で構成されています。散文ではなかったということです。当時は文学ではすでに散文、ヴォッカチオの『デカメロン』などももちろん散文の文学ですが、そういったものがあったのですが、聖史劇に関しては韻文で構成されています。ひとつの詩節、スタンツァと呼ばれるまとまりが8つの行でできています。これがいわゆる台詞の単位と考えて差し支えないと思います。ひとつの詩行は11音素、音の要素11個がひとつの詩行を構成します。詩作技巧的な話になってしまうのですが、脚韻はABABABCC、これで8行ということです。これは当時どういう文体だったかというと、極めてシンプルな、もっとも単純といっていいくらい簡単な詩型でした。どうして散文でなかったのかということはよく研究の上でも言われるのですが、一番大きな理由としては、こういった簡単な韻文で台詞を構成したほうが、アマチュアの演者は覚えやすかったのではないか、言いやすかったのではないかということが指摘されています。当時のイタリア人にとっては一番なじみのある詩形だったということですね。引用テクストの1番が『放蕩息子の帰還の聖史劇』のテクストを上げております。

 

1. ピエロ・ディ・マリアーノ・ムーツィ『放蕩息子の帰還の聖史劇』より

フェスタの告知が始まる。白い衣装を着たひとりの天使によって始められる。

彼はこのような調子で話す:

全能の父なる神と聖母マリアへ

賛歌が捧げられますように。

わたしはあなたがた、ここにいらっしゃる

すべてのみなさまに、お知らせします。

ただいまより、この兄弟会によって

敬虔なものとなるであろう聖史劇の上演を始めます。

みなさま、どうか静かに集中して耳を傾けてくださいますよう。

福音書でイエス様がお話されているかのようになさいますよう。

==

Incomincia l’annuziazione della festa e comincia per uno Angelo vestito de bianco.

Parla in questa forma:

A laude sia del Padre onnipotente

e della Madre Vergine Maria.

Io v’annuzio a voi, tutte gente

che siate qui, in questa Compagnia,

come si farà ora al presente

rappresentazion che divota fia.

Ciascuno stia a udire con buon zelo

come Gesù si parla nel Vangelo.

==

P. DI MARIANO MUZI, La rappresentazione del vitello sagginato, 1465, vv. 1-8.

 

大体聖史劇の冒頭はこのように始まるのですが、後に原語を載せておりますので、この原語の文末を見ていくと、このABABABCCというのが確認できるかと思います。

 

ト書きは基本的には詩節と詩節の間に挿入されていて、これは残念ながらですね、ごくごく簡素な記述が中心になっています。ト書きがあまりにもシンプルで、演者がどういった身振りを取ったのか、という記述があまりにも少ないからビジュアルイメージに還元することはできないだろうということは、つとに指摘されるところでもあります。ただ極々簡素な記述が中心だったというのは本当で、一番よくあるのは「マリアは言った」で終わるとか、「キリストは祈った」で終わるとか、そんなものがほとんどなんですね。けれども、時折情報量の多いト書きも挿入されることがなります。その例として、引用テクストの2つ目をあげております。

 

2. 『洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇』より

イエスと父なる神が山の頂にあらわれる。イエスは前にふたり、後ろにふたり

のあわせて四人の天使をともなってやってくる。イエスは、自分が彼らのとこ

ろに到着するまでに、聖ヨハネが以下の詩節をすべて語ることができるよう、

ゆっくりやってくる:

人間らしくある人々よ、

この汚れのない無垢な子羊に知性を向けるのです。

この子羊は預言者アブラハムがすでに語ったところの者です。

(中略)

この方は、天が永遠に続く限り、

尊敬されるであろうお方なのです。

この方は父なる神や聖霊から引き離されることなく、

善き人に永遠の天国を与えるのです。

イエスは彼らのもとに到着する。みな、ひれ伏す。

==

Hae a parire Gesù e Dio Padre in sul monte e hae a venire Gesù con quattro

angeli, due innanzi e due a drieto, e hae a venire tanto adagio tanto che San

Giovanni dica questa istanza innanzi che giunga a Lui:

Volgete, gente umana, lo ‘nteletto

a questo puro Agnello immaculato

di cui Abram profeta avea già detto.

[omissis]

Quest’è Colui el qual fie riverito

quantunche el Ciel eternalmente dura.

Dal Padre e Spirito Santo mai diviso,

e’ dona a’ buoni eterno Paradiso.

Giungne Gesù tra loro e tutti si gettono bocconi.

==

La rappresentazione di San Giovanni Battista quando fu decollato, 1465, vv. 105-128.

 

『洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇』ですけれども、離れた舞台にいるイエスが別の舞台に移るタイミングですとか、台詞を読むタイミング等々を指示する記述が確認されます。これは結構例外的に情報量の多いト書きですね。ともかくこのように、当時のフィレンツェ市民、若しくは旅行者にとっては、簡単な分かり易いけれども散文ではない、韻文であったということですね。図版を見てもらいますと、これが『受胎告知のフェスタ』です。

 

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『受胎告知のフェスタ』1515年、セビーリャ、コロンビーナ図書館

 

活版印刷を用いて、聖史劇のテクストを活版と木版で印刷しています。この下のテクスト部分が活版ですね、そして上の挿絵の部分が木版になります。活版部分をクローズアップしますと、左下に8行のまとまりが見えると思います。これが最初の天使の台詞ですね。右上の8行もこれも天使の台詞、その下の2行がト書き部分になります。

 

『ミステリヤ・ブッフ』の戯曲を送っていただいて拝読しましたが、16世紀の聖史劇のレパートリーの中で『ミステリヤ・ブッフ』のプロットに対応する演目というのはなんだろうと、ざっと見返してみたのですけれども、残念なことに、15世紀の聖史劇には大洪水を扱った演目がないんですね。大洪水はないのですが、ではそれ以外の部分でということで本日持ってきたのは、引用テクストの34ですね。

 

3. 『天地創造の聖史劇』より

神が天使たちをそろえ、昼と夜をお造りになったこと、つまり主日を定めたこ

との上演、つまり神が天地創造の日に話されたことの上演が始まる:

わたしの愛がはっきりと示されるべく、

一切の善はわたしから発せられることが示されるべく、

さらに、原理と至高の導き手を除いたすべてのものは、

わたしの力で創造されるということが示されるべく

はるかいにしえより予定されたことが、いま実現するのだ。

この一節を口にしたとき、合わせて九人の合唱の天使があらわれる:

わたしは告げ、命じる。光よ、あれ。

ここで無数の灯火があらわれる:

闇は夜とされ、光は昼とされ、

しかるにこれが主日と名付けられる。

==

Cominciasi la rappresentazione come Iddio fe’ li angeli e ‘l dì e la notte cioè la

domenica e come Iddio parla il primo dì:

Acciò che si dimostri il nostro amore

e che da noi ogni ben si produce

e che tutto è creato dal valore

di me, senza prencipio e sommo duce,

el previsto ab eterno or venga fore.

Detto questo verso, si scuoprono i cori degli Angeli tutti e nove:

Dico e comando che sie fatta luce.

Ora si scuopre molti luminari:

Domenica sia il nome in far così

che tenebre sie notte e luce il dì.

==

Una rappresentazione quando Iddio fece il mondo e l’uomo e ogni cosa creata, 1465, vv. 33-40.

 

4. 『キリストの復活の聖史劇』より

ダヴィデは永遠の歌声で「憐れみの主」を歌う。父祖たちはみな、歌いながら

山の隣にある地上の楽園に向かう。その入り口にて、剣を手にした天使が言う:

ようこそいらっしゃいました、

勝利と栄光の旗をかかげる全能の主よ。

キリストは答える:

この同胞たちを中に入れてやってください。

なぜなら彼らはわたしの勝利を記念する者だからです。

この者たちはわたしの意志を実行しました。

それは聖書の物語にあるとおりです。

彼らは中に入り、肩に十字架を担いだ「十字架の強盗」が最後に入るためにや

ってくる。天使は言う:

外にいなさい、強盗よ。わたしの声を聞くのです。

強盗は答える:

わたしはキリストとともに十字架で死んだ者です。

==

David canta Misericordias domini in eternum cantabo; e vanno tutti cantando al

Paradiso terrestre posto in monte; e all’entrata l’Angelo con la spada in mano, dice:

Ben venga il Signor forte di balìa,

con lo stendardo di trionfo e gloria.

Risponde Cristo:

Lascia entrar dentro qusta compagnia,

però che l’è il trofeo di mia vittoria:

questi hanno fatto la volontà mia;

come della Scrittura pon l’istoria.

Entrati che son dentro, vien da ultimo el ladron della Croce, con una croce in spalla

per entrare; e l’Angelo dice:

Sta’ fuor, ladron, ascolta la mia voce.

Risponde il Ladrone:

Io son quel che morì con Cristo in croce.

==

La rappresentazione della Resurrezione di Gesù Cristo, 1495, vv. 121-128.


天地創造の聖史劇。世界、宇宙を作る瞬間の場面がこの引用テクストの3になりまして、4はキリストの復活の聖史劇。

 

これはキリストが十字架にかけられて復活するんですけど、この復活の後に彼がどこに向かうかというと、辺獄(リンボ)というところに向かうんですね。辺獄に向かってそこにとらわれている旧約の預言者たちを救い出して天国へ連れて行くと。地獄から天国へ駆け上がるというモチーフ、これはもちろんダンテの『神曲』がまず最初に参照されたに違いないんですけれども、その場面の台詞を4つ目に挙げておきますのでご参照ください。

 

聖史劇のレパートリーは沢山あるんですけど、そこで特徴的な要素として、共通項として挙げられる2つの要素を最初にここで指摘しておきたいと思います。ひとつ目は、媒介者としての天使です。開幕と閉幕を見物客に告げる天使が来るということなんですけど、これがほぼすべての聖史劇で一致することであります。要するに上演内容を見物客にあらすじとして最初に全て説明してしまうんですね。その説明するときに見物客に「どうか落ち着いて静かにするように」ということをどの演目でも大概言います。というのは逆に考えると、どの演目でも見物客はかなり騒いでいたということはほぼ間違いないということですね。どのポイントで騒いでいたのかというのはあとでお伝えいたします。この天使は終演時に、改めて物語の意味を分かり易く解釈する、加えて上演中の不手際のお詫び、これもあらかじめ台本になっているんですね。アマチュアなので大体とちるのは当たり前だったのだろうと思いますが、もう勘弁してくださいという文言が大体入っています。この媒介者としての天使はですね、たぶんメインの物語が進行する間も舞台上にいたようですね。ギリシャ悲劇のコロスではないのですが、常にそこにいて目線を投げかけていたと。これは当時の絵画でも確認することができます。これはフィリッポ・リッピの『受胎告知』です。

 

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フィリッポ・リッピ《受胎告知》1440-42年 サン・ロレンツォ聖堂/フィレンツェ


ここに右側で受胎告知のメインの場面が進行しているんですが、左側に二人天使がいまして、そのうちの一人がですね鑑賞者のほうに目を向けています。

 

 

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この作品は、聖史劇を画家が見たからこう描いたのだとは一概に言い切れないのは確かです。当時アルベルティという人が絵画の描き方についての本を書きまして、鑑賞者に眼差しを投げかける人物を画中に置くと、鑑賞者をうまく巻き込むことができると記していますので、それに則っているだけかもしれません。ただ、当時この絵を見た人が聖史劇を観たときに、若しくは聖史劇を観た人がこの絵を見たときに何を思い出すのかということは考えてみると面白い問題です。

 

もうひとつ、繰り返し物語に召還されつつ疎外される存在として、搾取される小作人、忌避される病人、迫害されるユダヤ人という3つの存在をあげることができます。フィレンツェはですね、当時ヨーロッパきっての大都市でしたので、本当に19世紀のパリではないけれどもとにかく都市でした。その都市の市民たちはですね、周辺の郊外に住む農民とか小作人に対して、かなり差別めいた意識をもっていたのは確実で、それが台本にも反映されているということなんですね。

 


これは引用テクストの5番目にそれがよくわかる台詞を持ってきております。

 

5. 『スザンナのフェスタ』より

訴えを起こした最初の田舎者が、怒りながらこの詩節を言う:

わたしは、信仰を捨てて立ち去ってしまおう。

このことを、自分は神と福音書に誓うのだ。

なぜなら、リンゴのかごひとつのために、

支払われるべき者が、支払うべき者と判決されたからだ。

いまこのとき、風は完全にあべこべに吹いているのだ。

気弱な老人たちよ。あなたがたは今年、

掛け値なしの悪党のために身ぐるみをはがされるかもしれない。

なぜなら、あなたがたの判事はそれほどまでに不正なのだから。

田舎者たちの審問は終わる。神のご加護を。

==

Dice il primo Contadino ch'addomanda, mostrandosi adirato, questa stanza:

Io ne fo boto a Dio e alle Guagnele

che mi voglio ire a farmi sbattezzare,

poiché per un castelletto di mele

giudicato è che chi ha a avere abbia a dare.

Or son ben volte a ritroso le vele,

che unguanno vi possiate scorticare,

vecchi retrosi, d'ogni ver nemici,

po' che sì ingiusti son vostri giudìci!

Finita la questione de’ contadini. Deo gratias.

==

La festa di Susanna, 1495, vv. 129-136.


『スザンナのフェスタ』ですね。これは大事だと思うので、少し詳しく説明しますと、スザンナの物語というのはキリスト教ではよくある有名な物語なんですけど、物語の前に、プロローグというには長すぎる一連の場面が展開されています。それはどういった場面かというと、2人の田舎者が喧嘩をして裁判になる。この裁判がどういう風に進むかというと、1人の田舎物が判事を林檎一箱で買収するんですね。買収することで、本当のことを言っている田舎物が認められずに支払いを命じられてしまう。その最後の場面の台詞がこれです。「いじけて、俺はもう信仰なんか捨てて行ってしまおう」という台詞になっているんです。興味深いのはですね、「いまこの時風は完全にあべこべに吹いているのだった」と書いてあるわけです。「あべこべ」という言葉をきくとどうしてもバフチンを思い出すわけですが、バフチン的な転倒は起こらないわけですね。ほとんど起こりません、聖史劇では。弱者は弱者のまま虐げられて、そのまま社会状況は多少の揺らぎはありつつも更新されていくというような形式が見受けられます。ユダヤ人が迫害されるシーンは引用テクストの6つ目ですね。

 

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