最後に「ダンス」。これは上演後に最後はみんなで楽しくダンスを踊って終わりましょうというト書きが書かれている演目が残っておりまして、やはり祝祭ですから見物客も含めてみんなで楽しく踊りましょうというのがあったのは確かです。

 

番外編として、「椅子」ということなんですけれども、自分の出番を待っている縁者に関して、彼らは舞台上で椅子に座って待っていたと言われています。それをあらわす図像資料もあります。

 

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ピエロ・ディ・コジモ《聖母のエリザベツ訪問》1490-1500 ナショナル・ギャラリー/ワシントン

 

聖母マリアとエリザベツは中央に立って握手をしている女性なんですが、脇の座っている聖人は、この訪問がこの後みなさんにとってどういう意味を持つイベントだったのかということを説明する役どころのはずなんですが、まだ自分の番が回ってきていないので、台本のようなものを持って静かに待っているという風に解釈することもできるわけです。ですので、常に全ての登場人物が壇上、舞台空間の中にいて休んでいる人が椅子に座ると。「椅子から立ち上がって言う」というト書きも複数の演目で確認されるので、この上演方法は確かであろうということができます。

 

演者を代理するものということで、木製の人形。これは実物大で関節が可動式でした。わたしが資料で確認したのですが、『聖霊降臨祭』という演目がありまして、そこの財産目録、聖霊兄弟会の財産目録に、マグダラのマリアとか十二使徒の実物大の木製の人形、これはひじが動くなどの記述がありました。これはどういう風に作られていたかといいますと、『聖霊降臨』の絵がありまして、ほぼこういった状態で実際に青銅の中で上演されたということができます。

 

 

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アンドレア・ディ・ボナイウート《聖霊降臨》1366-68年 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂/フィレンツェ

 

ここに十二使徒とマリアがそろっていますが、やぐらのように組まれてちょっと高くなった舞台装置の中に木製の人形を展示しまして、裏から縁者ないし他の誰かが台詞をあわせると、それにあわせて肘や頭が動く、そういうことが行われていたということができます。それ以外に、幻視される聖母子、乱れ飛ぶ天使などに関しては、聖母子の板であるとか、紙に書かれた天使の絵画などがフルに活用されていたようです。これは財産目録の裏づけもあります。ですので、生身の演者と、こういった人形や絵画が交錯する上演だったということです。多様なメディウムという言い方をしていますが。

 

上演会場、空間の話にうつりましょう。まずは街路があります。聖史劇の上演に関して、行列の後に演劇的な表象、もしくは演劇的表象の後に行列、という流れで上演されるということは多々あったわけですけれども、そこでもよく聖遺物、例えば聖人の骨であるとか、来ていた服であるとか、イエスを貫いた釘であるとか、そういた物が行列の先頭に立って歩いていたと。

次にこれが重要なんですけれども山車の行列ですね。『洗礼者聖ヨハネのフェスタ』というのが当時フィレンツェ最大の聖史劇の上演機会だったんですが、これは舞台となる多数の山車が演者と共に行進して、会場の広場まで進んでいくということがありました。これは記録にも残っておりまして、かなり壮大な行列だったようです。この山車とか広場に関しては後ほど詳しくお話します。

続いて仮装騎馬行列、これは『マギのフェスタ』とよばれるもので行われていたものですけれども、1グループ700騎を超える仮装行列ですね。このグループが3つありました。これは1429年に記録としてのこっておりまして、美しく着飾った騎馬の行列が進む、その通り沿いはタペストリーと聖火できれいに装飾されるんですね。それが結果どうなるかというと、15世紀のフィレンツェを1世紀のエルサレムに変換する象徴的な装置になったということができるわけです。1世紀のエルサレムに象徴的に変換されるとどうなるかというと、見物をしている市民や旅行者もエルサレム市民に変換されるわけです。ありがちな言い方になってしまいますが、鑑賞者も演者となるわけです。ということで、沸き立つような祝祭的空間が現出するというわけなんですね。1465年の『マギのフェスタ』がどうだったかということを地図を使って説明をしたいと思います。これが当時のフィレンツェにある主だった教会を現した地図なんですけれども、上が南で下が北になります。

 

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ピエロ・ディ・ヤコポ・デル・マッサイオ《フィレンツェ図》1469年 ヴァチカン図書館/ヴァチカン

 

真ん中にアルノ川が流れていて、中央のやや下にドゥオモがあります。フィレンツェ市内を4つのエリアに分けまして、紫・水色・緑色のエリアがそれぞれを代表する騎馬隊を仕立てます。そのそれぞれがドゥオモに向かって練り歩きまして、一つの集団になった騎馬行列がさらに、サン・マルコ広場に仕立てられたヘロデの宮殿へ進んでいく、ドゥオモからサン・マルコ広場まで壮大な数の騎馬行列が続くということになります。これが史上最も壮大な『マギのフェスタ』なんですけれども、これについては、ほとんど演劇的な表象が含まれなかったと言われています。この1465年のフェスタをよく表しているだろうといわれるのは、このベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画『東方三博士の行列』です。こういったように延々と続く様子をフレスコ画で残しているんですね。かなり壮麗な豪華な衣装を着けています。

 

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ベノッツォ・ゴッツォリ《東方三博士の行列》1458-59年 メディチ・リッカルディ宮殿/フィレンツェ

 

 

加えて、広場の話をしたいと思います。聖史劇、宗教劇に関して言うととにかくこの図が出されますヴァランシエンヌ受難劇の舞台です。

 

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ユベール・カイヨー《1547年のヴァランシエンヌ受難劇の舞台》1577年 国立図書館/パリ

 

フィレンツェに関しては、シニョリーア広場が主にその舞台となってきました。ただ、聖史劇を説明するにあたりカイヨーの図を避けては通れないのです。フランスの例になりますが見ていきたいと思います。

一番左から天国がありまして、ナザレの門がありまして、神殿がありまして、エルサレムがあって、王宮があって、司教館があって城門があって煉獄があって手前の右側が地獄ですね。このような形で複数の屋台のようなものが並列に並べられて演者はこの個別のばらばらに並べられた演技空間を移動しながら上演は進むという風によく説明されるわけです。演劇研究では同時並列舞台という言い方をよくされます。このヴァランシエンヌに関しては、これをそのまま実際に広場に作っていたわけではなくて、これはユベール・カイヨーという人が紙の上に描きやすいよう再構成しただけで、本当にこのような形で並んでいたかはよくわからないと言われています。ではフィレンツェの場合はどうだったかといいますと、ここが会場になっていました。

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逸名の画家《サヴォナローラの処刑》17世紀 サン・マルコ美術館/フィレンツェ

 

ちょっと物騒な絵で申し訳ないのですが、シニョリーア広場というものがフィレンツェにありまして、右奥の黒い建物がいわゆる市庁舎、ここに貴賓などが集まりまして、バルコニー席から聖史劇を見ていただろうと。では山車はどう並んだかというと、広場の縁に沿って間隔を置いて並べられる。演者はその間を移動しながら、若しくは山車に登りながら上演したのだろうということです。その一つ一つの山車には仕掛けが施されておりまして、大天使ガブリエルを上から下まで滑車で下ろす仕組みですとか、聖霊の山車であれば、火薬が仕掛けられて爆発する、そのような仕掛けが施されていたのではないかと思われます。

 

続きまして聖堂の回廊の中ですね。大きい教会には回廊がありまして、その真ん中が中庭になっていて、そこも聖史劇の上演会場になったといわれています。

 

あと処刑場ですね。「正義の門前」の草地、ということで記録が残っているのですが、資料にもあげております『洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇』が上演されました。まあ地図に載っていないのですが、町のはずれの門の外側に草地がありまして、そこが当時の処刑場でした。死刑囚の最後の目的地だったわけです。当時の中世においてよく言われるのは、死刑執行はエンターテインメントの一つであったと。統治をするために市民に恐怖を与えるための機会でもあったわけですが、エンターテインメントの場所でもあったというのはよく言われるところです。実際に死刑を執行される場所で『洗礼者ヨハネの斬首の聖史劇』が上演されていたというのも面白いところであります。ちなみに、洗礼者ヨハネはフィレンツェの守護聖人でありまして、かなり重要な聖人であったということも申し添えておきます。

 

最後の上演会場として、聖堂内の高架舞台というのを説明したいと思います。フィレンツェの聖史劇で一番面白いのはこの辺だろうと思います。内陣障壁という構造物がありまして、これは実は東方教会由来なんですね。当時、西方教会いわゆるカトリック教会と、東方教会いわゆる正教会は東西でそろそろ一緒になろう、寄りを戻そうぜという流れがありまして、フィレンツェでフィレンツェ公会議という宗教会議が開かれていました。これは東西一緒になろうよということを話し合う場だったんですが、この前後にフィレンツェの聖堂内にこの東方教会由来の内陣障壁がいくつか建てられるんですね。これは内陣と身廊を分離するものなんですね。大きさはというと、高さが3メートル~5メートル、幅は約15メートル、奥行き1.5メートルほどの構造物になります。これの上にマリアの部屋であるとか、山であるとか城であるとか屋台が建てられる。結果見物客は首が痛くなるほど見上げてその上演を見ていたはずです。実際に、この聖堂内で聖史劇が上演されたということが分かっている、会場として特定されている聖堂が3つありまして、アルノ川南岸のひとつはサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂、ここで『キリストの昇天』が上演されました。もうひとつはサント・スピーリト聖堂、ここで『聖霊降臨祭』が上演されました。最後にサン・フェリーチェ・イン・ピアッツァ聖堂ここで『受胎告知』が上演されました。まずですねデル・カルミネ聖堂の舞台装置の再現モデルを見たいと思います。

 

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《1439年の『キリストの昇天』の舞台》1975

 

これを作ることができたのも、全てアブラハムのおかげです。緑色で囲ったのが内陣障壁といわれる構造物。橙色のところが城で、赤色のところが山ですね。城とか山というのは室内・野外に関わらず登場する定番の舞台装置です。このような形になりますね。じゃあここでどのような舞台効果が実施・実現されたのか。5つの項目で見ていきたいと思います。

最初に「宙吊り」ですが、これは演者を吊る物と、鉄製の大きな道具を吊り上げるものと2つあります。まずは演者を吊るもの、先ほど見たキリストの昇天で言いますとこの部分です。

 

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山の上に立っているのがキリスト役の演者ですね。上に天上と呼ばれる部分が、梁に固定された状態でありまして、そこから滑車とロープを使って雲と呼ばれる小さなフレームを吊り下げることになります。真ん中辺りに丸い構造物がありますがこれが雲で、これが山の頂上まで降りてくることになります。

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《1439年の『受胎告知』の舞台》1975

 

 

もうひとつ『受胎告知』の場合ですが、宙吊りになっているガブリエルがここにいますね。左側に天上の舞台があって、右側にマリアの部屋がありまして、その間にロープが結わえられてそれを伝って動いていくと。胴体にロープが結ばれているので、それを引っ張ってもらって動く感じです。これも1439年の舞台を再現したもので、スーズダリの司教の手記に従って再現された装置です。『受胎告知』にはもう一つ再現モデルがありまして、これはジョルジョ・ヴァザーリの『列伝』という美術史上の重要なテクストがあるんですけど、その中でヴァザーリはブルネレスキがこんな舞台装置を作っていたといっています。

 

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《ジョルジョ・ヴァザーリ『列伝』が伝える舞台》1975

 

この部分ですね。かなり大掛かりな舞台装置になっています。実は作者がブルネレスキというのは嘘で、それほど有名ではないブリキ工ががんばって作ったということがわかっているのですが、断面図を描き起こすとこんな感じです。

 

 

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チェーザレ・リージ「⟨天使の束⟩断面図」1975

 

真ん中にドーム状の構造物が二重になっています。で、その内側のドームの縁が張り出しており、そこにも天使が立っていると。内側の縁にも天使が立っていて最初は向かい合う状態になっているのですが、この内側のドームが降下するので下から見上げるとすごくゴージャスな光景が見えることになります。屋根裏はじゃあどんな感じだったかというと、これはまったくの想像で研究者が作ったモデルがあります。もちろん動力は人力で、ハンドルを回して動かすんですけど、二人でいいのかとも思いますが、こんな感じです。

 

 

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リージ&ゾルジ《『列伝』が伝える舞台(細部)》1975

 

ドーム状の構造物というのは実は、最初にお見せした木版画にも登場しているんです。ドーム状の天上からなにかの構造物が降りてくると。先ほどの舞台装置そのものになります。

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『受胎告知のフェスタ』1515年、セビーリャ/コロンビーナ図書館

 

続きまして照明です。これはどういう照明を使っていたかというと、メインはランプなんですが、このランプを覆うような形でガラス容器を作りまして、その容器に着色した水を入れます。着色した水越しにランプの光を見ることで、色がついたような光が実現されるというわけです。これも当時の財産目録に残っています。また、蝋燭を銅管の中から出し入れすることで点滅させるという機構が当時実現されていました。

まず、着色されたランプのほうですが、先ほど1439年の装置の別アングルからの写真をご覧ください。

 

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《1439年の『受胎告知』の舞台》1975

 

緑色の部分がマリアの部屋で、赤色が天上です。見物客はどこかというと、その間のフロアレベルで立って見物していました。いま見ていただきたいのは黄色い丸の部分です。天上の舞台装置の中に父なる神の演者がいるのですが、父なる神の背後に円盤のようなものが見えるかと思います。

 

 

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これはアブラハムも証言しているのですが、ここに数百個のランプが備え付けられていて、互い違いに回転をしていたと。これは天球を表すわけですけれども、父なる神の後ろで、さまざまな色の光が回転しているのが見えたということなんですね。

それから、先ほどのもう一つの受胎告知ですが、ここを見ていただきたいと思います。

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《ジョルジョ・ヴァザーリ『列伝』が伝える舞台》1975

 

 

 

内側の小さなドームは今見ていただいている位置で停止します。その後でその内側のドームのさらに内側に隠されていた銅でできたフレームがあるんですが、この一人乗りの銅でできたフレームが最後に内陣障壁まで降りてきて、大天使ガブリエルはマリアのもとに向かうんですね。この一人乗りのフレーム、「マンドルラ」と呼ばれますが、この「マンドルラ」はですね、どういった構造をしていたかというと、設計図が残っています。

 

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ボナッコルソ・ギベルティ《マンドルラ用の照明点滅装置》1470年頃、国立中央図書館、フィレンツェ

 

照明点滅装置ですね、これはワイヤー仕掛けになっておりまして、ワイヤーを引っ張ることによってパイプの中に隠されていた蝋燭がひょこっと顔を出すと。ですのでガブリエルが降りているときは蝋燭が顔を出して光っている状態で降りてきて、ガブリエルがマンドルラから降りてマリアのもとに行くときは消しておいて、また天上に戻るときはまたひょこっと頭を出して光り輝く状態で戻っていくと。そういった使われ方をしていたことが分かっています。

 

続きまして爆発です。「黒色火薬」ですね。黒色火薬は当時もう既にヨーロッパに伝わっていまして、最初は軍事用として使われていたんですが、軍事用として使う機会よりも、見世物として使う機会のほうが多かったようです。見世物として火薬を使っていって、ノウハウをためて軍事技術に再度フィードバックするという流れがありました。たとえばロケット花火などがありますが、最初に黒色火薬、火薬そのものがどう使われていたかということで、聖史劇に即して図像資料を見ていただきたいと思います。

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フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ《キリストの降誕》1485-90年 サン・ドメニコ聖堂/シエナ

 

 

『キリストの降誕』ですが、聖史劇にはレパートリーとして降誕劇の上演時テクストが2つあって、その一つに異教風の神殿が崩壊する、その神殿が崩壊した後に聖母子がいるという場面が含まれます。これはもちろん実際に異教風の神殿の舞台装置を作ってそれを火薬で爆破したわけではなく、簡単に崩落するような構造にしておいて、それを糸か何かで引っ張っておいて、その後ろで火薬を爆発させて音と煙で効果を添えるという使われ方をしていたと推察されます。異教風の建築物がこういう風に崩落している状況は当時の絵画でよく描かれいたのですが、それはなぜかというと、キリスト教世界が異教世界を支配した、その象徴としてこのようなモチーフがよく採用されました。それを聖史劇はそのまま再現したということになりますね。次にロケット花火です。

 

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チェーザレ・リージ&ルドヴィコ・ゾルジ《1439年の『受胎告知』の舞台》1975

 

これもアブラハムが証言しているのですが、ここに小さいものが見えますが、これは「鳩」、聖霊を表す白い鳩の模型なんです。ご覧の通り、ワイヤーが何本も走っているのが分かりますが、このあまったワイヤーを使って、クライマックスでピュンピュン動かしたようです。その花火の勢いがあまりにも激しくて、火花で聖堂内が満ちてしまうようだったとアブラハムは言っているので、兄弟会はここに大きなコストと労力をつぎ込んでがんばったんだろうなと推察されます。『受胎告知』以外にはですね、『聖霊降臨祭』で、聖堂の梁にしつらえられた構造物から、聖霊をかたどったロケット花火が飛んだのは確実です。

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アンドレア・ディ・ボナイウート《聖霊降臨》1366-68年 サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂/フィレンツェ

 

この『聖霊降臨祭』というのはとても興味深く、じつは火事で聖堂が焼け落ちているんですね。1471年に焼失しています。なぜかというと、それは花火のせいではなく、大量に使ったランプの不始末のせいで、上演後の深夜0時頃に燃え始めたという記録が残っています。この火災のせいでその後この作品は上演されなくなってしまいます。この記録に関しては普段あまり筆を執らない歴史家・演劇史家たちも書いているので、当時のフィレンツェにとって聖堂が燃えてしまったというのはすごく大きな出来事だったんだろうなと思います。

 

次に「噴水」ですが、これは『スザンナのフェスタ』では浴場が舞台になりますので、浴場で温泉が湧き出ているような演出をするのに使っただろうと。若しくは血ですね。これはどういう風に噴水を実施したのかということがよくわかっていなくて、ポンプ機構が手動であったのか、高いところにタンクを置いてそこからパイプで流したのか、どちらか分からないんですが、一つ絵を見ていただきます。

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サーノ・ディ・ピエトロ《洗礼者ヨハネの斬首》1450年頃 プーシキン美術館/モスクワ

 

『洗礼者ヨハネの斬首』ですね。ここに噴水があるわけですね。安いブドウ酒かなにかを流したんだろうなということが分かります。実際に上演もこのような形で人形を使ってやったんだろうというのははっきりしています。斬首で首が取れた後、魂役で演者が現れてまた台詞をしゃべるんですね。なので人形と生身の身体が交錯するのはよくある聖史劇の演出だったといわれています。

 

最後になりますが「音楽」ですね。雷鳴ということになりますが。これがよく分からないんですね。よくよく帳簿を調べていくと、ラッパの奏者に何がしかの給金を支払った記録はよく残っているので、ラッパを吹く人が関わっていたことには間違いないんですが、ラッパをどこで吹いたのかということがはっきりしません。一番可能性が高いのは、もうすぐ聖史劇を上演しますよと、町を練り歩いてPRをしたときに演奏したのではないかということです。また、大天使ガブリエルが天上から降り立つときに、雷鳴のようなものが鳴ったという証言があるんですが、この雷鳴を表すラッパをパーンと鳴らしたのではないかと考える研究者もいます。効果音としてラッパを使った可能性も否定できないところです。そのほかに、テクストの中にここでみんなで賛美歌・賛歌を歌うというような指示はあるので、そういったところで、いつものミサのような伴奏がついたことは想像に難くないのですが、聖史劇ならではのBGMがどういう風についたのかということは今のところはっきりと言うことができません。

 

 

そしてこれが最後になります。スーズダリ司教アブラハムの感想。受容についてどのようなことが言えるのか。賞賛と混乱がないまぜになった感情が指摘できます。引用ですが、「これは素晴らしくも怖ろしい見世物なのである。そもそも筆舌に尽くしがたい内容だったため、これ以上書くことなどできないのである」と、こんなことを書いているわけです。実際は、結構細かく書いてくれていますし、もう十分書いてくれましたありがとうという感じなんですけど。ただ「素晴らしくも怖ろしい」という言い方が面白いんです。アブラハムも火花で聖堂内が満ちてしまいそうだったとか、見物客の服が焦げてしまいそうであったとか、そもそもイルミネーション効果を最大にするために窓という窓を暗幕で全暗にした中での上演でありましたので、そういう蝋燭とかランプなど、無数の点光源で浮かび上がる演者や舞台装置は、イニシエーションのように恐怖を喚起するような空間を作り、火花が飛び散るそのただ中で不安を感じたのだろうと。しかも先ほどもちらっと言いましたが、ソドミーに対する曰く言い難い感情というものがあったと思うんですね。可愛らしい男の子が可愛らしい声でマリアの台詞を言うと。それを見て、確かにこれは素晴らしい、賞賛しなければいけないんだけれども、一方で不安を覚える見物客がいたということも、ほぼ確実に言えると思うんです。それを見て聖職者のアブラハムも「どうしたらいいんだろう、このまま肯定していいんだろうか、よくわからないけど、アーメン」みたいな感じだったのではないかという気がしています。性愛、技術、信仰などをめぐる感情が飽和するということですね。信仰というのは時間の関係で詳しく説明することはできませんが、西方教会・カトリックと東方教会・正教会で寄りを戻そうといったときに障害になったポイントがありまして、そのポイントにこの『受胎告知』の上演が抵触した可能性、どうも抵触しているようだというのが、テクストと彼の手記から読み取れます。そういった要素で飽和したような感情の果てに、「素晴らしくも怖ろしい見世物」という言葉が出てきたのではないかなと考えております。

 

ということで私の発表は以上です。

 

 

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