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写真提供:ボリショイ・ドラマ劇場

 

 プーシキンやドストエフスキーなど数多の作家や芸術家たちが愛し、しばしば「文化の首都」と呼ばれるロシアの古都サンクトペテルブルク。そんな芸術の街の中心部を流れるフォンタンカ運河のほとりにボリショイ・ドラマ劇場(BDT)がある。今年でちょうど開設100周年を迎えた、客席数750を有する市内最大のドラマ劇場である。明るい緑が鮮やかなネオ・バロック様式の壮麗な建物の雰囲気に反して、ロシア革命の翌年に生まれたBDTは芸術作品を商品のように扱うブルジョワ文化に対抗することを自らの課題としていた。初代の芸術監督を務めた作家のアレクサンドル・ブロークは劇場をエネルギーが集約する特別な場、革命を推し進めるための基盤と捉え、「劇場だけは妥協無しで存在しなければならない」と訴えた。BDTはあらゆる民衆のための劇場として出発したのである。
  上演日に見ることのできる劇場内の立派な展示コーナーでは100年の歴史が写真や舞台模型などで紹介されているが、初期のアバンギャルドな作品群は多くの観客にとって意外なものだろう。BDTといえば心理的リアリズムの殿堂であり、そのイメージを確立したのは1956年から同劇場を率いた大演出家ゲオルギー・トフストノーゴフだった。決して妥協を許さない、綿密で厳格な稽古によって練り上げられた俳優たちのアンサンブルは、スタニスラフスキー・システムに基づいた俳優芸術の最高到達点として神格化されるほどの人気を集めた。ユルスキー、ラヴロフ、バシラシヴィリ、ドローニナ、フレインドリヒといった看板俳優たちは数多くの映画にも出演し国民的スターとなる。83年と88年には来日公演も果たし、特に名優レーベジェフが主役の仔馬を演じた『ある馬の物語』はロシア演劇の水準の高さを印象付けた。
   しかし、トフストノーゴフが89年にこの世を去ると黄金時代は終焉を迎える。大演出家の後を継ぐ者をなかなか見出せず、新作は演劇界の話題にも上らない。いつしかBDTは往年の名俳優たちを拝むためだけに行く「死にかけた」劇場となっていた。
  2013年、現在の芸術監督アンドレイ・マグーチーが長い低迷にあえぐBDTの再建を新たに任される。マグーチーといえばハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』をロシアで初めて上演し、路上やサーカス小屋などで実験的なパフォーマンスを行うなど、従来の演劇の枠を超え独自の道を歩んできた異端の演出家。その人選は物議を醸した。だが、「演劇の革新者」、「ポストモダン演劇の旗手」の異名を持つアウトサイダーのマグーチーだからこそ経済発展により急激に変化するロシア社会に何が必要かを冷静に見極め、保守的な老舗劇場を変えることができたのかもしれない。
 改革は劇場の形そのものから始まった。大規模な改修工事により客席を1200から750に削減。椅子の幅を広くし、居心地の良さを重視した。国内の有名デザイナーによる新しい制服を着こなした若いスタッフたちは親切でスマートな対応で「無愛想なロシア」のイメージを覆してくれる。地味だった広告は文字のフォントも変え、カラフルに。劇場ツアーやレクチャー、上演後のディスカッションなど演劇を語るための定期企画もロシアの劇場では珍しい。セレブリティの邸宅が並ぶ郊外の高級住宅地に宮殿のような別館まで誕生し、客席には富裕層の人々が目立つようになった。
   マグーチーは「デジタル機器にまみれた若い世代が劇場に来てほしい」と語り、自身の演出作品(『何をなすべきか?』、『酔っ払いたち』)ではあえてテクノロジーを駆使しながら古典ではなく現代のロシアを描く。また、モスクワ芸術座の自然主義演劇がステレオタイプとして強く根付いている現状に対して、俳優の台詞をわざと民謡調にしたり、大掛かりな舞台装置を主役にしたりと、演劇が文学に従属するものではないこと、劇場における空間の意義を強調する。80歳を超えた大女優フレインドリヒを『不思議の国のアリス』の主役に据えるなど、古典やベテラン俳優を生かした話題性のあるアイデアも巧みだ。歴史を振り返れば、それは設立当初のBDTが志していた実験精神へと繋がる。
  就任から2年が経つ頃にはBDTはペテルブルグで最もステイタスの高い劇場になっていた。当初はベテラン俳優から「マナーを知らない客ばかり。劇場の格式が消えた」と批判も飛んだが、マグーチーは「恐れ多い」とトフストノーゴフが使っていた椅子に座らない謙虚さを見せながら、「これからの若者たちが大事」と理解を求めた。結果として、決して万人向けとは言えないようなレパートリーにも関わらず、劇場は連日様々な世代の観客で溢れ、数々の受賞によって作品の評価も高まる。マグーチーはビジネスと創作の両面で大成功を収めながら劇場のブランドを確立する離れ業をやってのけたのである。
  巨大な劇場のトップという権力を得た今もマグーチーはトレードマークのキャップを常に被り、いつも皺の入った黒ずくめの服を着ている。アンダーグラウンドの精神を今も失っていないのが頼もしい。ブロークやトフストノーゴフと同様、彼もまた妥協知らずの頑固者のようである。「演劇なんてこんなものだろう」という多くの人々が持っていた既成概念はマグーチーによってだいぶ取り払われ、BDTでは外部から招聘されたボゴモロフやヴィリパエフなど新たな時代を表現する演出家たちが伝統ある舞台で挑戦的な演出を披露した。   
   三浦基もまた必然であったかのように時宜を得てそのリストに名を連ねようとしている。この時代でなければ実現しなかった幸福な出会いである。

篠崎直也(ロシア演劇研究)