2013 アンダースロー / 撮影:松本久木
CHITENの近未来語
虚実入り乱れた〈超空間〉で交信を試みる56世紀人たち!
愛するもの同士の霊感は、光速をこえますか?
小松左京と今日の新聞 三浦基
子供の頃、新聞は大きかった。読めない漢字を眺めながら、短い鉛筆をくりにくわえてタバコにすれば、立派な大人になれた。いつの間にか大人になり、近頃では新聞は溜まってしまうゴミになった。捨てるために読むという変なものになった。タバコ片手に1時間も新聞を開いちゃったら、駄目な大人になれる。
情報は、無いと寂しいがあっても無駄に消費する。消費は人を疲れさせ、無関心にする。だから、新聞を読めば読むほど、バカになるのかもしれない。いや新聞を槍玉に挙げる前に、テレビを捨て、ネットサーフィンをやめるのが先か。情報を捨てる。情報処理能力を捨てる。だがしかし、新聞は毎朝やって来る。テレビやパソコンは、そのもの自体は機械だから置き場所だけ決めればいい。何も増えないし減らない。だがしかし、新聞は毎朝やって来る。人が運んでいる。朝4時のバイク音と郵便受けにそれを落とすあの音は、暴力と言っても過言ではない。情報は暴力だということは、実はかなり以前から新聞だけが、新聞こそが、伝えてきたのかもしれないと思う。
ということで、大袈裟に言えば、私なりにことのメディアをどう消化すればいいのかという恨みにも似た思いが今回の作品です。新聞は、過去のことを記述するばかりでなく、明日のことを予測した、まさに「新しい情報」なはずだ。しかし、私たちはいつの間にかそれを鈍感にやり過ごし、未来を予測しない術を見出した。
私にとって、小松左京という作家は、優れた新聞記者のようなものだ、と言うと無礼かもしれないが、そう思っているのでしょうがない。彼は日本の戦後の焼け野原を原風景とし、それに替わる風景を思い描いて記事にしたのではないか。小松作品をサイエンスフィクション(SF)と呼ぶにはちょっと都合が良すぎると思うのは、今日の原発の状況ひとつとってみても、むしろノンフィクションであり、はるか先のことではなくて、近未来の風景、いや明日の出来事なのだった。ここで大事なことは、小松を予言者として評価するのではなく、現実的な人として見つめるべきだということだろう。極めて現実的な記者なのだけれど、少しばかりロマンティストだったわけだ。
今日の新聞と小松左京の小説を同時に扱うことは、冗談みたいなものだけど、笑えない冗談のような今の日本の状況なのだkら、いっそ冗談として通じるものにしてみたい、というのが私の明るい希望なのです。
(出典:当日パンフレット)
-
2013日程・会場2013.7.20-8.24 / 9.28-29 / 10.12-13 アンダースロー演出三浦基出演安部聡子
石田大
窪田史恵
河野早紀
小林洋平スタッフ照明:藤原康弘
音響:堂岡俊弘
衣裳:堂本教子
舞台監督:大鹿展明
制作:田嶋結菜主催合同会社地点助成芸術文化振興基金 -
2014日程・会場2014.12.23-24 アンダースロー出演安部聡子
石田大
小河原康二
窪田史恵
河野早紀
小林洋平助成文化庁委託事業「平成26年度文化庁戦略的芸術文化創造推進事業」 -
2015日程・会場2015.1.16-17 / 4.22-23 / 6.30-7.3 / 10.15-17 アンダースロー助成文化庁委託事業「平成27年度文化庁戦略的芸術文化創造推進事業」
-
2016日程・会場2016.7.25-26 / 8.8-9 アンダースロー
-
2017日程・会場2017.9.5-12 アンダースロー