FOR YOUTH
はじめての地点
演劇って、なかなか見に行きづらいジャンルだと思います。チケットは映画に比べて高い、公演は短期間しかやっていない、見たことがないと余計に足が向かない…。そんな方達にも地点の作品を楽しんでいただきたいという思いを込めて、凝らした工夫と施策の数々。はじめての方にも、はじめてでない方にも、地点へのもう一つの扉を開きます。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
太宰治『正義と微笑』より
CULTIVATE TICKETカルチベートチケット
観客から観客へ
地点のアトリエ「アンダースロー」では2013年の開場時より独自のチケットシステム「カルチベートチケット」が導入されています。失業者のためにコーヒーをストックしておくというイタリアの「保留コーヒー」に想を得て、考え出したシステムです。誰かがカルチベートチケット(1枚2,000円)を購入することで、その枚数分、誰かが使える当日券(=カルチベートチケット)が確保される仕組みです。
Cultureの語源でもあるCultivateという英語に、わざわざカタカナ表記の「カルチベート」をあてたのは、アンダースローという場所の名前自体が和製英語なので、それに合わせて間抜けな感じがよいかなと思ったからでした。太宰治の小説にこの「カルチベート」という言葉が登場することを知ったのはその後のことです。
熱血教師が学生たちに語る「カルチベート」。 演劇を見たことがない若い人に使ってもらうチケットの名前として、この命名はあながち外れではなかったかもしれません。もちろん、カルチベートチケットは学生限定の制度ではありません(演劇を見たことのある若くない人も使えます)。買う人と使う人が両方存在して初めて成立する仕組みです。ご活用いただければ幸いです。
買い方
●公演時にアンダースローで直接購入
開演前および終演後に、アンダースローの受付(レジ)で購入可能です。
係の者にカルチベートチケット購入希望の旨お伝えください。
●オンラインで購入
カルチベートチケットの
使い方
アンダースローの受付で係の者にカルチベートチケット使用希望の旨お伝えください。
アンダースローのレジ横には購入いただいたカルチベートチケットのストックを設置しております。当日使用可能なチケットがある場合は、そのストックから直接チケットをお渡しします。そのまま通常通りご観劇ください。
カルチベートチケット
現在の残り枚数
注意事項
・使用可能なカルチベートチケットの枚数は、地点のウェブサイトトップページからご確認ください。
・カルチベートチケットがない場合(購入者が居ない場合)はご使用いただけません。
・カルチベートチケットは「当日券」です。事前のご予約は受付できません。ご了承ください。
演劇ブルペン
演出家・制作者・俳優のためのプログラム
地点はこれまで、「カルチベート・プログラム」(2014, 2015, 2017年)、「観劇観能エクスチェンジ・プログラム」(2018, 2019年)といった観客のための鑑賞プログラムを本拠地・アンダースローで開催してきました。また、国内及び海外の劇場で、演技や演出について参加者と共に考え、テキストからシーンを立ち上げる経験を共有するワークショップを数多く行ってきました。そのようなプログラムを通じて出会った多くの観客や演劇を志す人々との交流は、地点及びアンダースローの財産になっていると感じています。
2024年。地点はアンダースローで、若手演出家・制作者・俳優の養成プログラム「演劇ブルペン」を開始します。
本読みから立ち稽古までの流れ、シーンの立ち上げ方について学ぶ〈テキストワーク〉。スタッフワークについて学ぶ〈レクチャー〉。実際の舞台作品を批評的に読み解く〈舞台鑑賞&ディスカッション〉。そして一つの課題戯曲から舞台作品をつくりあげる〈クリエイション〉。プログラム修了時には、参加者が自ら企画者となって引き続き実践を積み重ねていくことができるようになることを目指しています。
アンダースローを活用していただくことで、これまでの10年間に育ててきた文化を、若手のみなさんに手渡していきたいと考えています。
総合芸術である演劇をつくるために、演出家と俳優の集団である地点は、毎回多くのスタッフやクリエイターの助力を得て創作しています。創作の出発点は常にテキストであり、言葉ですが、それを空間に落とし込むために、光・音・様々なマテリアルを用い、専門のデザイナーの力を借りているのです。ときには、異ジャンルのアーティストとコラボレーションを行うこともあります。ここでは、これまで何度もタッグを組んだ創作のパートナーをご紹介します。
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空間現代
2012年に突如届いたレコ発イベントへの出演依頼。地点『光のない。』がもたらしたスリーピースバンドとの大きな出会いでした。2013年、ブレヒト作『ファッツァー』で初コラボ。その夏オープンしたアンダースローが元ライブハウスでなかったら、彼らとの共同作業も難しかったかもしれません。その後、2016年に彼らは京都に拠点を移し、アンダースローから徒歩圏にライブハウス「外」を開場。共につくった作品は、これまでに10作品以上という、地点の作品を語る上で欠かせない存在です。
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松原俊太郎
初めてその名前が印象を残したのは「カルチベート・プログラム」の報告エッセイ集。ブレヒトと空間現代というフックに引っかかった文学青年(音楽も好きだった)は、後に劇作家として『みちゆき』でAAF戯曲賞を、『山山』で岸田國士戯曲賞を堂々受賞! 地点は、いずれの受賞作も初上演を担当するという光栄に預り、その他にも書き下ろしを多数提供していただきました。アンダースローの雑誌「地下室」草号に連載された『忘れる日本人』、『ファッツァー』をモチーフに書かれた『正面に気をつけろ』など、再演したい作品がいっぱいです。
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三輪眞弘
エルフリーデ・イェリネクと三輪眞弘......2012年は地点にとって忘れられない年となりました。東日本大震災を描いた『光のない。』を上演した年です。演算を用いた逆シミュレーション音楽という作曲法はじめ、テクノロジーを駆使しながら音楽の根源的なあり方に切り込む三輪さんの考察は、いっそ「思想」と言って差し支えないほど整理され、鍛えられており、地点の現場に大きな刺激を与えました。つい味をしめて、次々と大作をつくってしまったほどです。イェリネクの文体と互角に渡り合う力が、三輪さんの提案にはいつもあります。そして、それらが常にユーモラスであるということが、本当にもう、最高なのです。
客席の
主役たち
「カルチベート・プログラム」では、アンダースローで地点のレパートリーを観劇し、関連レクチャーを受講した参加者のみなさんに、修了後、報告エッセイを書いていただくのが通例でした。
プログラム参加を通じて感じたこと、考えたことを親しい人に宛てて手紙を書くようにまとめてください。具体的に「母親に書こう」「佐藤さんに書こう」と設定していただいて構いませんが、それを明示する必要は必ずしもありません。相手があなたをよく知り、自己紹介する必要がないことを想定した文章としてください。不特定多数に宛てて書く必要も、地点に宛てて書く必要もありません。また、レポートではありませんので、裏付けや事実の列記も必要ありません。
寄せられた報告エッセイのうち、何篇かをご紹介します。アンケートやSNSでは到底知り得なかった観客の姿が、エッセイを通してはじめて眼前に現れ、今でも地点の大切な財産となっています。
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おまえに手紙を書いたところで読めるはずないことはわかっている。それでも、ぼくはおまえに向けて書くしかないのだろう。地点のウェブサイトにわざわざ断り書きなんてされていないけれど、言語能力のない知的障害の十九歳が入ってもいいですかなんて訊く人もいないだろうし、マナーモードじゃない携帯電話の百倍は「ほかのお客様のご迷惑」なおまえをアンダースローに連れて来ようという気持ちは、これっぽっちも、とまでは言い切れないけれど、ない。だけどね、劇場におまえみたいな人間が来るなんて想定されていないというのはどういうことなのか、ぼくは考える義務があるように思う。「演劇なしでは生きられない」と言う人に、「それは誰にとって?」と訊き返すために。
静岡に帰るとき、おまえに会うのが楽しみなのは、どこにでも後ろめたさを抱えているぼくにとって、鈍感すぎるおまえが一番安心するからかもしれない。次男であるからかおまえが弟だからか、ぼくは弟がいるのに自分が兄だという自覚を持つことがなかった。だからこの手紙は兄として、弟であるおまえに書こう。
このプログラム最後のパフォーマンスは「ヒストリー」と題された空間現代のライブだった。演劇を見るときぼくは、どうしても意味を探してしまう。頭の中で感想文を書こうとしている。だけれどこの日は、そんなことは途中でやめた。もったいないと思った。この気持ちのいい時間を楽しみたかった。整然とリズムを重ね、崩す、三人の目と手に集中する。それで、「なんか面白いなあ」というぼんやりした興奮を言葉にするのをやめて、でも別の形で表明するために、笑ってみる。声も出さず、暗がりの中で誰にも気づかれず笑顔を浮かべる。そうしたら、一緒に歌うでも腕を振り上げるでもないこのライブの楽しみ方はこれか、と腑に落ちた気分になった。同時に、おまえもここにいたらいいと思った。
笑いは他者への共感なしでは成り立ち得ない。やたら遠回りな例を出そう。アイス・バケツ・チャレンジが流行った時、あるパレスチナ人はイスラエル軍に破壊された家々の瓦礫を頭からかぶった。それを見て、隣のパレスチナ人は抵抗のユーモアに胸のすく思いで笑うかもしれない。イスラエル人は自国の行為の正当性を疑わないのに無意識のやましさが邪魔をして笑えないかもしれない。日本人は反射的に笑って、でも無関係を装っている自分への居心地の悪さがこみ上げてくるかもしれない。ほんの一瞬にして、私たちの記憶、知識と経験が呼び起こされて笑いは生まれる。なぜ笑ったのか、笑わなかったのか、自分に問いかければ答えはある。だから、上演中はただ、笑っていればいい。表情や声に出してもいいし、心の中ででもいい。これならおまえにもできる。得意だろ? もし言葉を探せる人なら終演後にやればいい。一歩引いて、誰かのものとしてそれを批評するのではなく、自分を語るために。次に地点を見るときはそうやって見てみるよ。
ぼくはおまえが観客になれる可能性を捨てたくはない。だけれど観客になれないおまえにとっての演劇こそ語るべきだと思う。地点には、戦争と国家について言及する二つのレパートリーがある。『ファッツァー』の役者たちは壁に張り付けられ、食欲、睡眠欲、性欲にまみれた「利己主義者」は有形無形の弾丸によってその身体を縛り上げられる。それを見てぼくは、戦争になれば真っ先に、敵ではなく、味方に「殺される」おまえのことを思う。なんの生産性も持ち得ず、「国益に反する」存在のおまえを。
『CHITENの近現代語』には、決してノンポリではない二人の友人を連れてきたけれど、この日の観客席は座り心地が悪かった。この演劇が、「大日本帝国」ではなくなった「日本国」においてでさえあまりに語られてこなかったことを語るからだ。話題にしたことがなさすぎて、もしかしたら隣の人との間にあるかもしれない深い断絶に気づきたくないという思いが不安にさせる。敗戦によって、日本国憲法によって、この国はどれだけ変わったのか。毎年戦没者が追悼され感謝を捧げられる一方で、戦争で人殺しを「させられた」ことに対し怒りの声が上がることがほとんどないのはなぜなのか。この国には、いつでも私たちの首にアコーディオンをぶら下げて君が代を歌わせる用意がある。歌えないおまえはそのときどうなるかな。
地点も空間現代もcontact Gonzoも、わざわざ自分たちにルールを課して、その制約を想像力の源にしている。おまえは生まれながらに制約の塊だ。だからこうやっておまえを通して考えていると想像が膨らんでいく。おまえは今までどれだけの人をカルチベートしてきたんだ?おまえに演劇が必要だと説こうとしていただけの自分を反省しよう。おまえが演劇に必要だ。
誰も演劇を殺すことはできない。劇場にいる観客一人一人の中で生まれるだけだから。観客でない人間に演劇の「ヤバさ」を捉えることはできない。脆弱すぎる存在のおまえがこの国で生きられるとしたら、演劇があるからだ。カルチベートされた観客がいるからだ。演劇がある世界で生きろ。おまえが世界を劇場にしろ。だからおまえは、演劇なしでは生きられない。 -
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元気にしていますか、こんにちは。こちらの春はまだ先です。あなたに手紙を送る時は、いつも冷たい風が吹いている気がします。
急ですが、少しきいてください。私はこの前まで、地点という劇団の、アンダースローという劇場に、諸事情で通っておりました。アンダースローは北白川にあります。知っていると思うけれど、北白川は百万遍から向かうとなると(別にどこからでもいっしょのことですが)、ででーんとはばかる坂をのぼらねばなりません。山とはいわないまでも、これは丘である!、私はいつもそう思っていました。自転車をうんしょうんしょとこいで、着いただけでホッとするってもんです。けれど劇場は地下にあるので、せっかく稼いだ高度を吸収されてしまうような、おもしろい感覚があります。
決められた九回とあともろもろで、四ヵ月で計十回以上は足を運びました。ひとつひとつの作品やお話の感想をあなたに伝えるつもりは特にありません。疲れているだろうし、疲れさせるだろうし。でも、気になったことをいくつか。
この劇団を知るまで、私は演劇というものをあまり見たことがなく、見たことがあるものは、あなたがそうしてくれたように、「連れて行かれた」という形がほとんどでした。数少ない経験しかない私ですが、演劇はどんな内容であれ、わくわくするものというイメージがあり、この劇場に通うことになったときも、わくわくすることをわくわくしていました。しかし、実際はそんなに単純なものではありませんでした。観終わったあと、なんだか無性に「肉を食らわねば」と私をスーパーに走らせる作品もあれば、どうしようもなさを抱えさせられ、「ちくせう」と小声で叫びながら猛スピードで坂を下った日もありました。私の生活に侵入してくるその作品たちは(あるいはその作品たちにひたっていく私の生活は)、確実にわくわくの範囲を超えていたと思います。それが演劇なのだ、と彼らはいうのだから、降伏です。また同時に、世界は演劇なのだ、とも言われました。私が仮面をつけて、社会にふりつけられている、といったら、あなたはどう思うのでしょうか。案外すぐにうなずいてくれそうですね。世界が演劇ならば、誰かがたまに本当に艶めいて見えるのも、そしてそれに私やあなたが心を動かされることも、注意しなければならないのかもしれません。
劇場という場所はふしぎです。ひとりで見に来ても、隣に人がいないということはまずないのです。息をひそめて観ているつもりでも、時に俳優とばっちり目が合うことがあり、くらくらします。これは一体なんなのか、と。
今度こちらに来る時は、いっしょに丘を上ってくれませんか。そして、いっしょに丘を下ってくれませんか。
心せくままの乱筆、許してくださいますよう。お返事待ってます。 -
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カルチベート・ゴーズ・オン
「カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ」「勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」
地点がカルチベート・プログラムを始動するときいて、学生向けの企画かなあと案じながらもついに参加を申し込んだのは、案内に書かれていた太宰のこの言葉によるところが大きい。太宰、ダメ人間のくせに良いこと言うねえ!
「カルチュア」という言葉が泣けるほど似合わない町で生まれ育ち、高校出たら働くのが当たり前の家庭で唯一、大学どころか大学院にまで進み、ドイツ文学だの演劇だの、まあ一銭にもならない勉強をさせてもらったあげく、ろくに就職もしないで芝居ばかり観ている、ダメダメ学歴逆コンプレックス人間のわたしは、「学問を無理に直接に役立てようとあせってはいかん」と言われるだけで滂沱状態だった。まさに焦っていた。親にさんざん苦労をかけて高等教育を受けたからには、一刻も早く獲得した知を社会に還元せねばならん! と、むやみやたらにイライラしていた。要するに、さっさと借りを返して肩の荷を下ろしたかったのである。しかし、心の底ではできれば免れたいとも思っていた。それで時おり、見えてもいない「社会」に決然と立ち向かい、手応えのない海のなかで必死にばたつくパフォーマンスをしては、たやすく燃え尽き、ただ悶々と芸術を享受する生活に逆戻りするのだった。結局わたしは知や芸術を消費してるだけやないんか?
いやいやそうではあるまい、見て感じて学ぶ意義はどこかにあるはずだ。自己否定と肯定の間で途方に暮れる迷子に、太宰の言葉はまったく甘く響いた。
ところが受講生となってプログラムに参加すると、実際それほど甘くない。そもそも六回の公演に三回のレクチャーという日程を完全にナメていた。いつも通り公演ごとにアンダースローに通えばそれくらいになると踏んでいたのだが、いざ義務化されると途端にしんどくなる。仕事のあと大急ぎで淀屋橋駅から京阪に飛び乗って、終点出町柳駅から北白川まで競歩、帰りもアフタートークが終るや終らんやのところで劇場を後にして、ギリギリ終電に滑り込む。特に後半はそんな日が週に三日もつづき、長引く風邪も加わってヘトヘトだった。芝居を観てもトークを聞いてもちっとも頭に入ってこず、帰りの電車で薄れゆく意識のなか、「いったい私は何をやってるんやろう」と自問したものである。そうこうするうち、課題レポートの締切も迫ってくる。自由に書いてと言われてすんなり書けたら苦労はしない。プログラムどうだった?と聞かれても直近のしんどい記憶しか湧いてこない。具体的に面白かったテーマもあるけれども、文章にまとめられるほど考えが熟していない。さてもずいぶんぼんやり受講したもんだと頭を抱えるはめになった。
まいったなあと思いながらも、不都合ごとにはシレッと蓋をして、思想家・武道家の内田樹氏と芸術批評家の小林昌廣氏のトークイベントへ出かけた。あちこち話題が移り変わるなか、ふと能の話になった。武芸のかたわら謡の稽古を続けている内田氏が「自分の身体の奥に集合的な記憶にアクセスできる場所があり、そこを通して発声すると、倍音のような『自分ではないものの声』が出せると発見した」と仰ったとき、雷に打たれたような感覚に襲われた(この発言の引用はわたしの記憶によるところが大きいのでご斟酌願いたい)。
すべての生命の集合知が存在し、それらは精神よりも個別の身体に宿るという考えは、乱読の結果として学生時代からぼんやりと抱いていた。一方「音/声」については、カルチベート・プログラムのフォルマント兄弟によるレクチャーで、楽器的な身体や、主体と客体の曖昧さと関連して、かなり思考が活性化していた。そこへ今回の内田氏の話がストーンと入ってきて、バラバラに散らかっていた考察に一本の筋が通った気がしたのだ。その瞬間「ああいま、わたし、カルチベートされた!」と直感した。正確には、カルチベート「されていた」ことに気づいたというべきだろうが、やはりそれを自覚した時に初めて、脳に鋤が入った思いがしたのである。
思えば、こうした「カルチベ体験」は、学問や芸術に関わるなかでこれまでにも何度か経験していた。それぞれの時点で出会った互いに何の関係もない要素どうしが、思いもかけない遠いところでバッタリ繋がることがある。そのときの驚き、興奮、歓びといったら、とても言葉で言い表されるものではない。あの何ものにも代えがたい快感が忘れられないから、家族に負い目を感じながらも大学で研究を続けたし、今でも性懲りもなく、一見、何の得にもならないことに必死で食らいついている。
そして同時に気づいたのは、カルチベートはどこまでも「される」ものだということだ。わたしはあくまで土であり、他の誰かが、何が生えるやもわからんこの土塊を代わる代わる耕してくれる。そのうえ耕作者たちには、わたしを耕してやったという意識は微塵もないらしい。つまり、人は「耕す」「耕される」ときにはそれに気づかないものなのだ。カルチベートはAの勝手なふるまいと、それによって勝手に耕されるBの間で無意識に発生するバタフライ効果なのである。Bがいつの間にか「耕されていた」ことを知るのはずいぶん後になってからだ。Aに感謝を伝えるには遅すぎることも少なくない。
カルチベートが「される」のものである以上、生きているだけで負債は増える一方である。某機構にまだ十二年ちかくも奨学金という名の借金を返さねばならないのと一緒で、その返済にはずいぶんかかりそうだ。しかもお金と違ってカルチベートは目に見えないので、じっさい返せているのかどうかも定かではない。今わたしがわけもわからず夢中で取り組んでいることに、いったいどれほどの意味があるのか、ちっともわからない。いつか意味を持つのだという自信も、あまりない。ただとにかく闇雲にでも生きて心を動かし続けないかぎり、自分もカルチベートされないし誰かのカルチベートにもなりえない、それだけは確信している。
今はまだ足元の土を見つめて這い進むことしかできないが、いつか顔を上げて来し方を振り返る時がきたら、きっと、遠くまで続くこの豊かな畑を、辺りの風景とともに見晴るかせるだろう。 -
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田中君へ
しばらく東京で住む部屋探しをしていたみたいだけれど、いい部屋は見つかったかな?
E君の就職先はとても忙しいし、きっと毎日終電で帰ることになるだろうから、職場から近いところに住めると良いね。
今回は、ちょっとお話ししたいことがあってメールをさせてもらいました。
大学院の教室がある総合研究二号館の南側の入り口に、官庁のパンフレットがたくさん置いてある棚があると思うのだけど、そこに官庁のパンフレットに混じって「カルチベート・プログラム」っていう演劇が無料で見れるプログラムのパンフレッ トが置いてあったの覚えてるかな? 太宰治の「真にカルチベートされた人間になれ!」って文章が表紙に載ってたやつ。田中君は覚えていないかもしれないけれど、僕らはそのパンフレットを見て二人で「僕もカルチベートされたいわー」なんて最悪な軽口を叩いたりしたんだよね(確か秋学期が始まってから、夜中まで自習室に残っていたときの帰り道に見かけたのだと思う)。
で、そのカルチベート・プログラムなんだけど、実は参加してきてみました。「僕もカルチベートされたいわー」なんて言っていたけれど、実はけっこう本気でカルチベートされたかったみたい。あんまり話したことがないけど学部時代からショートフィルムなんかを撮っていて、それが楽しかったから今でも人文的な領域に関心があるんだ。それに、僕が住んでる北白川にプログラムをやってる劇場があって、プログラムに通いやすかったんだよね。
プログラムに参加するなかで色々と面白いことを経験できたので、その経験や感想をシェアさせてください。一方的にこんなメールを送ってごめんね(-_-;)
「人は一生牢獄の中で自分を見つめているだけでは、自分を知ることはできない」みたいな主旨の話を大学院でされた気がするのだけど、覚えてるかな?
要するに、人は他人と関わり自他を比較することを通じてしか己を知ることができないみたいな主旨で、こういう話がされていたと思うんだよね。(確か国際法の浅田先生が、「若い人はもっと海外に行った方が良い」っていうことを話す過程でこんな話をしてた気がする。間違ってたらごめん)
いきなりなんでこんなことを書きだすかというと、この言葉を思い出しちゃうくらい「自分はこの二年間、結構狭いコミュニティの中にいたんだな」って思わされるような経験をしたからなんだ。今回のプログラムを通じて普段大学院では関わることができない人達と関わることができて、自分の立ち位置がどういうものなのかを改めて認識することができたし、そうした立ち位置を相対化することもできて結構楽しかった。大学院は決して牢獄ではないけれど(牢獄みたいな側面もあるけどね……)それでも同質性の高い人たちが集まるところだし、ずっと中にいると視野狭窄に陥りがちなところがあるのかも。
プログラムでは、六本の演劇と、三本のレクチャーを受けることになる。会場は北白川のスーパーの横の雑居ビルの地下で、キャパは大体四十人くらい。上演中以外は演出家の人(この人が一番偉いみたい)や役者さんがうろうろしていて、特に役者さんは劇中とは全く異なる表情を見せてくれてなんだか不思議な感じ。さっきまで何とも言えない非日常的な言葉づかいをしていたような人が、高校生相手ににこにこしながら話かけたりしていて「当たり前だけどこの人たちも話せば普通の反応をしてくれんだよな」と思ったりした。
演劇の内容は、三本はチェーホフっていう有名な劇作家の作品。二本は新聞や憲法の文言を引っ張ってきて演劇の中に組み込んだもの。もう一つはブレヒトっていう劇作家の『ファッツァー』という作品。
結構古典を扱っているから、オーソドックスな演劇を見ているように思えるかもしれないけれど、その内実は全然オーソドックスじゃなくて、古典であっても演出家の人の独特の演出でちっともオーソドックスじゃないものになってる(演劇をちゃんと見るのなんて今回が初めてなのに、いきなりオーソドックスじゃないものを見てしまった)。
演出家の人はとても有名な人らしく、実際とても独特な演出をする。後でも述べるように、レクチャーの中で「芸術は充実した無意味である」っていう個人的には納得できる芸術についての定義づけが行われていたのだけど、演出家の人の演出は芸術における無意味を徹底したような演出であるように思えた。
例えば、劇中のセリフについて音節の区切り方を変えて不思議なニュアンスがでるようにしてみたり、ある場面でその場面にふさわしくないような過剰な動作やユーモアを織り交ぜたり、脚本が本来有している意味に対して別の意味をぶつけることで意味を混線させてぐちゃぐちゃにする(かといって、その意味を完全に理解できないかというとそんなわけでもない)。その結果として、なんだかざわざわした感覚が生まれて「うひょーおもしれー!」と感じることができる。
また、レクチャーもとても面白かった(個人的にはこちらの方が面白かったかも)。特に楽しかったのは芸術についての話。例えば、レクチャーの中ではこんな面白い言い回しに会うことができた↓(正確に覚えてるわけじゃないので、間違ってたらごめん)。
・哲学は正しいことしか言ってはいけないけれど、芸術は間違ったことを言っていい
・芸術とは「充実した無意味」である
・芸術とは「事故表現」である
などなど。
いきなりこんなことを書かれてもよくわからないと思うし、実際僕も良くわかってはいないのだけれど、要するに芸術とは何ぞやということについて、レクチャーを通じて考えを深めることができたような気がするんだ。
多分、芸術というのは世の中のあらゆる意味を相対化するような試みなんじゃないかと思う。僕たちが普段目にする現象は大体は意味にまみれたもので、その現象はどのような性質を持ったものかということについて共通了解が持たれているものばかりだけど、そうした現象が持つ既存の意味を相対化してまた別の意味を見出したり、そもそも既存の意味を無意味なものにするという営みが芸術なのではないかと思う。ただし、なんでもかんでも無意味にすれば良いというわけではなくて、それは「充実」したものでなければならない。多分、この充実を生み出せるか否かが芸術家になれるかどうかの境目なんじゃないかなと思う。
例えば、「CHITENの近現代語」という演劇では、大日本帝国憲法の条文や犬養毅の演説を既存の文脈から切り離して、演出を加えて再配置することで、そもそも大日本帝国憲法の条文や犬養毅の演説が持っていた意味や堅苦しいニュアンスを、全く別のものに変えていたように見えた。
ちなみに、演出を加えて再配置をすることで既存の意味を無意味化するときには、特に「既存の意味をこういう風に変えよう」というような意図はないそうだ。特に意図はないけれど、何らかのメカニズムが働いて、結果として別の意味になるか無意味なものになる。この「何らかのメカニズム」というのがあやふやなものだから、「芸術とは事故表現」なんていう表現がなされるのだと思う。
ただし、いかに芸術が既存の意味を無意味化することに成功したとしても、芸術(特に演劇)はそれを視る観客がいないと成立しない営みであり、観客は演劇に勝手に意味を見出すものだから、その意味で芸術は意味から自由ではないと言えるかもしれない。
こんなことについて色々と考えをめぐらすことができて、プログラムは全体的に単純に楽しかったんだ。
田中君は今後京都に住むことはないと思うけれど、演劇に関心を持っている後輩とかがいたら、ぜひ教えてあげてほしいです。それくらいおすすめです。
ただ、プログラムに参加していて、いくつか気になった点・違和感もあったんだ。そして、世の中にはこうした違和感を感じる人間ばかりが存在しているわけではないということも今回のプログラムで分かった。
つまり、自分の立ち位置みたいなものを相対化することができたような気がするんだ。これはプログラムの主旨とはあんまり関係のないものなんだけど、僕にとっては結構大切なこと。そして、プログラムに参加して一番面白いと感じたところでもあった。
特に違和感を感じたのは、政治やメディアに対する態度だった。
ここでは、あえて「左か右か」というわかりやすい構図を使って話をしたいと思う。もちろん、「左か右か」なんて構図はあまりにもわかりやすいもので、現実の大切な部分をかなりの程度捨象してしまうものだ。現実を的確にとらえることにはできない。そもそも、有斐閣が出している久米他『政治学』の最初の章で学ぶのは、左-右という政策対立軸の内実は近年実に多様化しているし、一般的なイメージで語られるほど単純なものではないということだから、政治学を勉強している人間としてもこういう構図を使って物事を語るのあまり望ましいことじゃない。それに、芸術が「充実した無意味」なのだとしたら、芸術についてこんなに意味にまみれた構図にあてはめて語るのは、随分と失礼な気がする。
それでもあえて、左-右を、「既存の体制(権力)に対して革新的な態度をとるか、保守的な態度をとるか」という二項対立として捉えた場合、このプログラムに参加していた人達や主催していた人達はは間違いなく「左」であり、僕は「右」だった。
プログラムを主催していた人達の態度や喋る内容は、端々に「左」っぽいニュアンスを含んでいたし、またそれにうなずいている観客の反応も「左」っぽいニュアンスを含んでいた。僕はどちらかというと自分がリベラルな人間だと思っていたので、自分以外の人間すべてが自分よりも「左」っぽいという空間が存在するということに、びっくりさせられたんだ。一体全体僕はいつのまに「右」っぽい人間になってしまったのか。
一番大きな原因は、僕が国家公務員の家庭に生まれてきたことだと思う。父がいつも夜遅くまで働いているのに、世間では官僚バッシングが行われていたものだから、「政府には一生懸命に頑張っている人もいるのに!」と強く思ったし、それ以来、政府であったりメディアであったり、権力性を帯びた場所で働いている人達を手放しで批判しているような言説に対して、反射的に嫌悪感を覚えるようになってしまった。
それと、政治学を専攻したことも原因かもしれない。政治学が誰に向けて書かれているかというと、一応市民に向けて書かれているという側面もあるけど、やっぱり基本的には政策決定者に向けて書かれているものなのだと思う。例えば国際政治学では、戦争について分析するときに、国家間で勢力が均衡しているときには戦争が起こりにくいという分析をしたりするけれど、こうした分析は市民にとってはあんまり意味がなくて、やはり政策を操作することができる人達にとって価値のある情報だ。こうした性格を持っている政治学を学んでいると、さも自分も政策を操作できる立場であるかのような錯覚に陥るもので、市民目線で政治を視るという感覚が損なわれているの
かもしれない。
で、ここからが大事なところ。
さっき、芸術は充実した無意味だという話をしたのだけれど、僕は、芸術が政治を扱う場合においては芸術は意味から自由じゃないように思えた。
芸術である演劇は、本来無意味なものであるはずだけど、どうしても政治に対する一定のスタンスが演劇から感じることができてしまう。もちろん、これは観客である僕が勝手に演劇に対して意味を見出してしまっているだけなのかもしれないけれど、芸術は観客が勝手に意味を見出すために意味から自由でないというだけではなくて、作り手が特定の思想信条を持っているために意味から自由でないということもあるんじゃないかと思った。
僕は、このことがどうしても気になってしまって、レクチャーの途中で「結局演劇に関わる人ってみんな政治的な立場は左なんじゃないの?」といった主旨の、ものすごーく失礼な質問をしてしまったんだ。演出家の人はこんな答えにくい質問に対して「左だよ」と真摯に答えてくれた。けど、それでもやっぱり個人の政治的信条と演劇とは分けて考えているとのことだった。
別に僕はここで、「結局演劇は意味から自由じゃないじゃないか!嘘つきー!」なんて主旨の批判をしたいわけじゃないんだ。もちろん僕は演劇が意味から自由じゃないように見えるけれど、そう見えるのは僕自身が意味から自由じゃないからかもしれないし、そうした可能性を棚上げにして一方的に相手を批判するのは良くないことだと思う。
ただ、それ以上に自分はリベラルだと思っていたけれど左-右という対立軸でとらえた場合(リベラルと左という言葉は同じ意味ではないと思うけれど)、「右」側の人間だということを実感したってことは、僕にとってはとても新鮮な経験だった。
別にここで「世の中には色々な人がいるということを忘れてはならない」とか「自分の視野が狭いということを反省しなければならない」なんて教訓めいたことを言うつもりはなくて、ただただ新鮮な経験をして面白かったということが伝えたい。
これはまっとうな芸術の楽しみ方ではないかもしれないけれど、というかもう芸術とは全く関係がないことかもしれないけれど、自分の立場を相対化して新たな視点を得るということは、人生における最も楽しい出来事の一つだと思うんだ。自分を相対化していく過程こそが人生だと言ってもいいくらい。今回のプログラムではそうした経験をすることができたし、やっぱりその意味でもとても充実してた。
ここまでつらつらと書いてしまって、メールをどう纏めればいいかよくわからなくなってしまいました(-_-;)
ただ、とにかくプログラムを通じて充実したし、興奮したし、あの時「カルチベートされてーなー」なんて馬鹿にしていたこのプログラムは、思っていた以上に楽しかったぞってことを伝えたかったのです。
田中君とは社会科学に関する議論ばかりしてしまったけれど、今度はもっとふわふわしたテーマで一緒に議論できたらいいなと思ってます。
これからもよろしくね。 -
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地点という劇団の劇場に通っている。見つけた素敵なことをいつも共有し合うあなたにも観てほしい。が、「おもしろいから観に行こうよ!」と簡単には言えない私がいる。
実を言うと、初めて地点の演劇を観た翌日、共感してくれそうな友達に早速観劇をすすめた。「この演劇、おもしろかったよ!」と。劇場に足を運んだ彼女に後日感想を求めると、「うーん……私はだめだった。よくわからなくて。」と遠慮がちに言われてしまった。彼女はそれきり演劇を観に行っていない。言いたいことはわかる。わたしだってよくわからなかった。でもそこに不可解を越える魅力を直感的に見たため、ふたたび劇場に足を運んだ。その直感を今では、ラッキー! と思っている。
地点の演劇をおすすめする時には、適切な前置きが必要に思う。何の気なしに気軽に観ると「わからない」で終わってしまう危険がある。今回はしくじりたくない。あなたを上手に劇場に導くため、更に二度目の観劇に進んでもらうため、地点の演劇に関する私的な鑑賞のコツと、観劇がわたしにもたらした利点を紹介する。
差し出がましいながら、いち「地点先輩」として、演劇鑑賞を初回で挫折しない心得を経験談とともに語らせてもらう。まず、今あなたの想像する「演劇」も、「おもしろい」も、地点に見るそれとはきっと違う。地点の演劇には平素の「エンターテインメントの楽しみ方」が通用しない。私はこれまで、映画やドラマは概ねストーリーを楽しむものだと思っていた。ところが地点の演劇では話の流れのわかり辛いものが多く、物語が全く理解できずに終わってしまうことがあった。わからないものを一時間半観続ける、これは正直体力のいることだ。しかも自分にはこんなに不可解なのに、周りの観客は笑ってすらいる。それは孤独で不安なことだった。
現在私の実感として、演劇は多くの場合ストーリーで楽しむものではない。アンダースローで上演される作品はストーリーのわかり辛い(または無い)オリジナルや、古典・チェーホフの戯曲。地点のレギュラー演目は現在六つで、これを繰り返し上演し続けているため、アンダースローに通うということは、観た事のある演目を繰り返し観ることとなる。またチェーホフ作品は、演劇好きなら皆既に話の筋や台詞を知っているものだ。つまり演劇は古典の戯曲を繰り返し用い、再演もたびたび行うという理由から、多くの観客にとって物語は既知のものであるため、話の筋以外で観客を楽しませられないと持たない。同時に、演出はストーリーに対して説明的になる必要は無い。観客もそれを承知の上で、予めストーリーを知って観に行くか、それ以外の要素を楽しむつもりで臨まなければ、「話がわからない」で終わってしまう。
あるチェーホフ作品を観てしっくりこなかった私は、これ以上ストーリーに翻弄されないため、作品のテキストを読むことにした。既に上演を見て筋を知った話であるにも関わらず、舞台を観た後に読むテキストは驚くほどにおもしろかった。チェーホフの戯曲は元々台本として作られており、舞台風景から台詞まで詳細に記されているが、地点の舞台では台本通りに演じられておらず、のっけから構成が全く違っていた。ストーリー上大切に思われる導入の一幕も、大胆にも丸ごと切られていた。公演に採用された場面を読むと、劇中での俳優の独特のイントネーションが想起され、テキストから地点の舞台がありありと蘇ってきた。そののち再度公演を観ると、テキストと 舞台の違いがより強調され、劇団の放つ個性に感銘を受ける。ここにきて私は演劇の楽しみ方をストーリー以外に見つけることができた。劇団は、わたしの知っている物語をどのように調理するのか。物語の真意をどうとらえたのか。鑑賞の喜びは、ストーリーへのワクワクから、劇団のこしらえたトリックへのワクワクに変わっている。時には「好きなシーン、もうすぐくるぞ、くるぞ……きた!」と、知っているからこその喜びが生まれることもある。
考えてみると、歌舞伎や能、文楽などの古典芸能や、身近なところでは漫才や落語も、決まりきったストーリーに演出を加えて再演することが多い。ただ空間、時間、台詞、間、俳優など劇場内に存在するあらゆる要素が入り組み、効果的な演出がここまで要求されるものは、演劇に独特のように思う。演出家はあらゆる手を使い、戯曲を自分色に再構築する。特に地点では物語の要素は必要最低限に削ぎ落とされ、不親切に、わかり辛く、同時に新しい魅力をたっぷりと備え再構成されている。観るたびにこれまで気付かなかった要素に引っかかるので、次回も観ないわけにはいかない。今のわたしの日常で、すぐに答えの出ないものをわざわざ観に行き悶々とする機会は他にない。上演時間中は、劇団と観客の一筋縄ではいかない駆け引きが繰り広げられる。その刺激的な時間を、積極的に楽しむ。これが私流・観劇の心得だ。
次はまたまた差し出がましいながら、私の考える「地点をより楽しむコツ」を話したい。地点のおもしろさは公演だけにとどまらない。アンダースローでは是非、劇団とのおしゃべりを体感してほしい。わたしはいつもひとりで劇場に足を運ぶ。終演後、孤独に考えにふけりたい時には、まっすぐ帰る。感じたものを誰かと分かち合いたい時は劇場内のカフェでお酒を飲みながら、演出家、俳優、観客と話をする。作品鑑賞直後に作り手と会話を交わすことは、とても特殊な体験だ。演者や制作者に会えることは、昔から観客を劇場に通わせる大きな動機付けの一つだったのではないだろうか。制作者と話をすると、必然的により作品にのめり込むこととなる。コンビニエントに映像や画像で殆どの芸術を観られる今、作り手と話すことは劇場が存在する意味の一つに思える。
カフェに滞在すると演出家さんに舞台の感想を伝える流れになってしまうことが多いのだが、いつも緊張して生きた心地がしない。それは演出家さんが若干怖い(ありがたいことに、私の感想を「そんなことない!」と一蹴されることもある。)ということもあるのだけれど、なんというか、真剣勝負の心持ちになる。格好つけてその場しのぎの嘘を言っても意味がないし、見透かされる。ここでは世間に溢れる大人同士の予定調和やごまかし笑いがない。
アンダースローではまるで異次元のように、「言葉」の意味が違って感じられることが多々ある。舞台上では妙なイントネーションで台詞が発されるため、発語を集中して聞くことを強いられるが、注意深く聞く言葉は、特別な意味を持って観客に迫ってくる。上演後のカフェでも同じようなことが起こる。的確な表現を持つ演出家。探るようにゆっくりと言葉を発する俳優。会話中は私も言葉の真の意味、選び方に慎重にならざるを得ない。そして日々の自分がいかに浮かんだままを無責任に発してしまっているのかを実感し、反省することとなる。言葉と発言内容を強く意識させられるこの劇場では、真面目に遊ぶ考える大人たちが、考えない大人の幼稚な遊び方を正しているように感じられる。
さて、極私的・地点の演劇鑑賞の心得と、劇場でのお楽しみについて話してきた。どう思ったろう。興味は湧いたかい?
最後に伝えておきたいのは、地点の演劇を観て私の心や頭がどう変化していったかについてだ。まずひとつ、演劇が世界の縮図であることに気付いた。演劇にはテキストを生み出したクリエイター、それを編集し演出するプロデューサー、それを演じるアクターがいる。世間でも同じことが起こっている。今生み出されるものは全て既存のものの焼き直しであり、前述の三者で回っているのだ。ある時劇場で行われた講義で、小説家が「世の中は振り付けられている」と言った。皆演じている。または演じさせられている。世の中で起こる物事に、クリエイターは居るのか? プロデューサーは誰か? 私自身はどの役回りを担っているのか? 私は演劇を観始めて、世界のからくりを積極的に見つめるようなった。人を振り付け、人に振り付けられていることを自覚し、時には懐疑的に捉えるようになった。この変化を、自身の思考における前進と思っている。
もうひとつ。アンダースローで、考えることを改めて意識するようになった。初めて地点の演劇を観た時、これまでのエンターテインメントの鑑賞習慣通りに観ようとし、ストーリーが理解できず疲れてしまった。そのさまを今振り返ると、わたしは物事に惰性で対峙し、イージーに受け流そうとしていたのだと自覚できる。初観劇の感想はおぼろげなものだったが、そこで終わらずわたしがまた劇場に足を運んだのは、わからないことを面白いと思ったからだ。そして、自分の頭で考えないままに何かを得た気持ちになることに、疑いを持ち始めていたからだ。劇場に通ううち、演劇の観方と世界の見えかたが少しずつ変わってきた。初見でわからないものを受け入れる余 裕と、それについて考え自分なりに解決してゆく知恵、更にその過程をおもしろく感じる楽観性を、アンダースローで養っている。世の中で起こることは、物語のように筋が通っていない。だからこそ、簡単に答えの出ないものに積極的に関わるべきだと今は思っている。地点の演劇が見せる謎に触れ、自分の頭で考え、丁寧に言葉にしたいのだ。それをあなたにも体験してほしいと思っている。
長くなってしまったけれど、あらためて、心を込めてあなたを誘おう。一緒に、アンダースローへ行こう。
おまえに手紙を書いたところで読めるはずないことはわかっている。それでも、ぼくはおまえに向けて書くしかないのだろう。地点のウェブサイトにわざわざ断り書きなんてされていないけれど、言語能力のない知的障害の十九歳が入ってもいいですかなんて訊く人もいないだろうし、マナーモードじゃない携帯電話の百倍は「ほかのお客様のご迷惑」なおまえをアンダースローに連れて来ようという気持ちは、これっぽっちも、とまでは言い切れないけれど、ない。だけどね、劇場におまえみたいな人間が来るなんて想定されていないというのはどういうことなのか、ぼくは考える義務があるように思う。「演劇なしでは生きられない」と言う人に、「それは誰にとって?」と訊き返すために。
静岡に帰るとき、おまえに会うのが楽しみなのは、どこにでも後ろめたさを抱えているぼくにとって、鈍感すぎるおまえが一番安心するからかもしれない。次男であるからかおまえが弟だからか、ぼくは弟がいるのに自分が兄だという自覚を持つことがなかった。だからこの手紙は兄として、弟であるおまえに書こう。
このプログラム最後のパフォーマンスは「ヒストリー」と題された空間現代のライブだった。演劇を見るときぼくは、どうしても意味を探してしまう。頭の中で感想文を書こうとしている。だけれどこの日は、そんなことは途中でやめた。もったいないと思った。この気持ちのいい時間を楽しみたかった。整然とリズムを重ね、崩す、三人の目と手に集中する。それで、「なんか面白いなあ」というぼんやりした興奮を言葉にするのをやめて、でも別の形で表明するために、笑ってみる。声も出さず、暗がりの中で誰にも気づかれず笑顔を浮かべる。そうしたら、一緒に歌うでも腕を振り上げるでもないこのライブの楽しみ方はこれか、と腑に落ちた気分になった。同時に、おまえもここにいたらいいと思った。
笑いは他者への共感なしでは成り立ち得ない。やたら遠回りな例を出そう。アイス・バケツ・チャレンジが流行った時、あるパレスチナ人はイスラエル軍に破壊された家々の瓦礫を頭からかぶった。それを見て、隣のパレスチナ人は抵抗のユーモアに胸のすく思いで笑うかもしれない。イスラエル人は自国の行為の正当性を疑わないのに無意識のやましさが邪魔をして笑えないかもしれない。日本人は反射的に笑って、でも無関係を装っている自分への居心地の悪さがこみ上げてくるかもしれない。ほんの一瞬にして、私たちの記憶、知識と経験が呼び起こされて笑いは生まれる。なぜ笑ったのか、笑わなかったのか、自分に問いかければ答えはある。だから、上演中はただ、笑っていればいい。表情や声に出してもいいし、心の中ででもいい。これならおまえにもできる。得意だろ? もし言葉を探せる人なら終演後にやればいい。一歩引いて、誰かのものとしてそれを批評するのではなく、自分を語るために。次に地点を見るときはそうやって見てみるよ。
ぼくはおまえが観客になれる可能性を捨てたくはない。だけれど観客になれないおまえにとっての演劇こそ語るべきだと思う。地点には、戦争と国家について言及する二つのレパートリーがある。『ファッツァー』の役者たちは壁に張り付けられ、食欲、睡眠欲、性欲にまみれた「利己主義者」は有形無形の弾丸によってその身体を縛り上げられる。それを見てぼくは、戦争になれば真っ先に、敵ではなく、味方に「殺される」おまえのことを思う。なんの生産性も持ち得ず、「国益に反する」存在のおまえを。
『CHITENの近現代語』には、決してノンポリではない二人の友人を連れてきたけれど、この日の観客席は座り心地が悪かった。この演劇が、「大日本帝国」ではなくなった「日本国」においてでさえあまりに語られてこなかったことを語るからだ。話題にしたことがなさすぎて、もしかしたら隣の人との間にあるかもしれない深い断絶に気づきたくないという思いが不安にさせる。敗戦によって、日本国憲法によって、この国はどれだけ変わったのか。毎年戦没者が追悼され感謝を捧げられる一方で、戦争で人殺しを「させられた」ことに対し怒りの声が上がることがほとんどないのはなぜなのか。この国には、いつでも私たちの首にアコーディオンをぶら下げて君が代を歌わせる用意がある。歌えないおまえはそのときどうなるかな。
地点も空間現代もcontact Gonzoも、わざわざ自分たちにルールを課して、その制約を想像力の源にしている。おまえは生まれながらに制約の塊だ。だからこうやっておまえを通して考えていると想像が膨らんでいく。おまえは今までどれだけの人をカルチベートしてきたんだ?おまえに演劇が必要だと説こうとしていただけの自分を反省しよう。おまえが演劇に必要だ。
誰も演劇を殺すことはできない。劇場にいる観客一人一人の中で生まれるだけだから。観客でない人間に演劇の「ヤバさ」を捉えることはできない。脆弱すぎる存在のおまえがこの国で生きられるとしたら、演劇があるからだ。カルチベートされた観客がいるからだ。演劇がある世界で生きろ。おまえが世界を劇場にしろ。だからおまえは、演劇なしでは生きられない。
元気にしていますか、こんにちは。こちらの春はまだ先です。あなたに手紙を送る時は、いつも冷たい風が吹いている気がします。
急ですが、少しきいてください。私はこの前まで、地点という劇団の、アンダースローという劇場に、諸事情で通っておりました。アンダースローは北白川にあります。知っていると思うけれど、北白川は百万遍から向かうとなると(別にどこからでもいっしょのことですが)、ででーんとはばかる坂をのぼらねばなりません。山とはいわないまでも、これは丘である!、私はいつもそう思っていました。自転車をうんしょうんしょとこいで、着いただけでホッとするってもんです。けれど劇場は地下にあるので、せっかく稼いだ高度を吸収されてしまうような、おもしろい感覚があります。
決められた九回とあともろもろで、四ヵ月で計十回以上は足を運びました。ひとつひとつの作品やお話の感想をあなたに伝えるつもりは特にありません。疲れているだろうし、疲れさせるだろうし。でも、気になったことをいくつか。
この劇団を知るまで、私は演劇というものをあまり見たことがなく、見たことがあるものは、あなたがそうしてくれたように、「連れて行かれた」という形がほとんどでした。数少ない経験しかない私ですが、演劇はどんな内容であれ、わくわくするものというイメージがあり、この劇場に通うことになったときも、わくわくすることをわくわくしていました。しかし、実際はそんなに単純なものではありませんでした。観終わったあと、なんだか無性に「肉を食らわねば」と私をスーパーに走らせる作品もあれば、どうしようもなさを抱えさせられ、「ちくせう」と小声で叫びながら猛スピードで坂を下った日もありました。私の生活に侵入してくるその作品たちは(あるいはその作品たちにひたっていく私の生活は)、確実にわくわくの範囲を超えていたと思います。それが演劇なのだ、と彼らはいうのだから、降伏です。また同時に、世界は演劇なのだ、とも言われました。私が仮面をつけて、社会にふりつけられている、といったら、あなたはどう思うのでしょうか。案外すぐにうなずいてくれそうですね。世界が演劇ならば、誰かがたまに本当に艶めいて見えるのも、そしてそれに私やあなたが心を動かされることも、注意しなければならないのかもしれません。
劇場という場所はふしぎです。ひとりで見に来ても、隣に人がいないということはまずないのです。息をひそめて観ているつもりでも、時に俳優とばっちり目が合うことがあり、くらくらします。これは一体なんなのか、と。
今度こちらに来る時は、いっしょに丘を上ってくれませんか。そして、いっしょに丘を下ってくれませんか。
心せくままの乱筆、許してくださいますよう。お返事待ってます。
カルチベート・ゴーズ・オン
「カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ」「勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」
地点がカルチベート・プログラムを始動するときいて、学生向けの企画かなあと案じながらもついに参加を申し込んだのは、案内に書かれていた太宰のこの言葉によるところが大きい。太宰、ダメ人間のくせに良いこと言うねえ!
「カルチュア」という言葉が泣けるほど似合わない町で生まれ育ち、高校出たら働くのが当たり前の家庭で唯一、大学どころか大学院にまで進み、ドイツ文学だの演劇だの、まあ一銭にもならない勉強をさせてもらったあげく、ろくに就職もしないで芝居ばかり観ている、ダメダメ学歴逆コンプレックス人間のわたしは、「学問を無理に直接に役立てようとあせってはいかん」と言われるだけで滂沱状態だった。まさに焦っていた。親にさんざん苦労をかけて高等教育を受けたからには、一刻も早く獲得した知を社会に還元せねばならん! と、むやみやたらにイライラしていた。要するに、さっさと借りを返して肩の荷を下ろしたかったのである。しかし、心の底ではできれば免れたいとも思っていた。それで時おり、見えてもいない「社会」に決然と立ち向かい、手応えのない海のなかで必死にばたつくパフォーマンスをしては、たやすく燃え尽き、ただ悶々と芸術を享受する生活に逆戻りするのだった。結局わたしは知や芸術を消費してるだけやないんか?
いやいやそうではあるまい、見て感じて学ぶ意義はどこかにあるはずだ。自己否定と肯定の間で途方に暮れる迷子に、太宰の言葉はまったく甘く響いた。
ところが受講生となってプログラムに参加すると、実際それほど甘くない。そもそも六回の公演に三回のレクチャーという日程を完全にナメていた。いつも通り公演ごとにアンダースローに通えばそれくらいになると踏んでいたのだが、いざ義務化されると途端にしんどくなる。仕事のあと大急ぎで淀屋橋駅から京阪に飛び乗って、終点出町柳駅から北白川まで競歩、帰りもアフタートークが終るや終らんやのところで劇場を後にして、ギリギリ終電に滑り込む。特に後半はそんな日が週に三日もつづき、長引く風邪も加わってヘトヘトだった。芝居を観てもトークを聞いてもちっとも頭に入ってこず、帰りの電車で薄れゆく意識のなか、「いったい私は何をやってるんやろう」と自問したものである。そうこうするうち、課題レポートの締切も迫ってくる。自由に書いてと言われてすんなり書けたら苦労はしない。プログラムどうだった?と聞かれても直近のしんどい記憶しか湧いてこない。具体的に面白かったテーマもあるけれども、文章にまとめられるほど考えが熟していない。さてもずいぶんぼんやり受講したもんだと頭を抱えるはめになった。
まいったなあと思いながらも、不都合ごとにはシレッと蓋をして、思想家・武道家の内田樹氏と芸術批評家の小林昌廣氏のトークイベントへ出かけた。あちこち話題が移り変わるなか、ふと能の話になった。武芸のかたわら謡の稽古を続けている内田氏が「自分の身体の奥に集合的な記憶にアクセスできる場所があり、そこを通して発声すると、倍音のような『自分ではないものの声』が出せると発見した」と仰ったとき、雷に打たれたような感覚に襲われた(この発言の引用はわたしの記憶によるところが大きいのでご斟酌願いたい)。
すべての生命の集合知が存在し、それらは精神よりも個別の身体に宿るという考えは、乱読の結果として学生時代からぼんやりと抱いていた。一方「音/声」については、カルチベート・プログラムのフォルマント兄弟によるレクチャーで、楽器的な身体や、主体と客体の曖昧さと関連して、かなり思考が活性化していた。そこへ今回の内田氏の話がストーンと入ってきて、バラバラに散らかっていた考察に一本の筋が通った気がしたのだ。その瞬間「ああいま、わたし、カルチベートされた!」と直感した。正確には、カルチベート「されていた」ことに気づいたというべきだろうが、やはりそれを自覚した時に初めて、脳に鋤が入った思いがしたのである。
思えば、こうした「カルチベ体験」は、学問や芸術に関わるなかでこれまでにも何度か経験していた。それぞれの時点で出会った互いに何の関係もない要素どうしが、思いもかけない遠いところでバッタリ繋がることがある。そのときの驚き、興奮、歓びといったら、とても言葉で言い表されるものではない。あの何ものにも代えがたい快感が忘れられないから、家族に負い目を感じながらも大学で研究を続けたし、今でも性懲りもなく、一見、何の得にもならないことに必死で食らいついている。
そして同時に気づいたのは、カルチベートはどこまでも「される」ものだということだ。わたしはあくまで土であり、他の誰かが、何が生えるやもわからんこの土塊を代わる代わる耕してくれる。そのうえ耕作者たちには、わたしを耕してやったという意識は微塵もないらしい。つまり、人は「耕す」「耕される」ときにはそれに気づかないものなのだ。カルチベートはAの勝手なふるまいと、それによって勝手に耕されるBの間で無意識に発生するバタフライ効果なのである。Bがいつの間にか「耕されていた」ことを知るのはずいぶん後になってからだ。Aに感謝を伝えるには遅すぎることも少なくない。
カルチベートが「される」のものである以上、生きているだけで負債は増える一方である。某機構にまだ十二年ちかくも奨学金という名の借金を返さねばならないのと一緒で、その返済にはずいぶんかかりそうだ。しかもお金と違ってカルチベートは目に見えないので、じっさい返せているのかどうかも定かではない。今わたしがわけもわからず夢中で取り組んでいることに、いったいどれほどの意味があるのか、ちっともわからない。いつか意味を持つのだという自信も、あまりない。ただとにかく闇雲にでも生きて心を動かし続けないかぎり、自分もカルチベートされないし誰かのカルチベートにもなりえない、それだけは確信している。
今はまだ足元の土を見つめて這い進むことしかできないが、いつか顔を上げて来し方を振り返る時がきたら、きっと、遠くまで続くこの豊かな畑を、辺りの風景とともに見晴るかせるだろう。
田中君へ
しばらく東京で住む部屋探しをしていたみたいだけれど、いい部屋は見つかったかな?
E君の就職先はとても忙しいし、きっと毎日終電で帰ることになるだろうから、職場から近いところに住めると良いね。
今回は、ちょっとお話ししたいことがあってメールをさせてもらいました。
大学院の教室がある総合研究二号館の南側の入り口に、官庁のパンフレットがたくさん置いてある棚があると思うのだけど、そこに官庁のパンフレットに混じって「カルチベート・プログラム」っていう演劇が無料で見れるプログラムのパンフレッ
トが置いてあったの覚えてるかな? 太宰治の「真にカルチベートされた人間になれ!」って文章が表紙に載ってたやつ。田中君は覚えていないかもしれないけれど、僕らはそのパンフレットを見て二人で「僕もカルチベートされたいわー」なんて最悪な軽口を叩いたりしたんだよね(確か秋学期が始まってから、夜中まで自習室に残っていたときの帰り道に見かけたのだと思う)。
で、そのカルチベート・プログラムなんだけど、実は参加してきてみました。「僕もカルチベートされたいわー」なんて言っていたけれど、実はけっこう本気でカルチベートされたかったみたい。あんまり話したことがないけど学部時代からショートフィルムなんかを撮っていて、それが楽しかったから今でも人文的な領域に関心があるんだ。それに、僕が住んでる北白川にプログラムをやってる劇場があって、プログラムに通いやすかったんだよね。
プログラムに参加するなかで色々と面白いことを経験できたので、その経験や感想をシェアさせてください。一方的にこんなメールを送ってごめんね(-_-;)
「人は一生牢獄の中で自分を見つめているだけでは、自分を知ることはできない」みたいな主旨の話を大学院でされた気がするのだけど、覚えてるかな?
要するに、人は他人と関わり自他を比較することを通じてしか己を知ることができないみたいな主旨で、こういう話がされていたと思うんだよね。(確か国際法の浅田先生が、「若い人はもっと海外に行った方が良い」っていうことを話す過程でこんな話をしてた気がする。間違ってたらごめん)
いきなりなんでこんなことを書きだすかというと、この言葉を思い出しちゃうくらい「自分はこの二年間、結構狭いコミュニティの中にいたんだな」って思わされるような経験をしたからなんだ。今回のプログラムを通じて普段大学院では関わることができない人達と関わることができて、自分の立ち位置がどういうものなのかを改めて認識することができたし、そうした立ち位置を相対化することもできて結構楽しかった。大学院は決して牢獄ではないけれど(牢獄みたいな側面もあるけどね……)それでも同質性の高い人たちが集まるところだし、ずっと中にいると視野狭窄に陥りがちなところがあるのかも。
プログラムでは、六本の演劇と、三本のレクチャーを受けることになる。会場は北白川のスーパーの横の雑居ビルの地下で、キャパは大体四十人くらい。上演中以外は演出家の人(この人が一番偉いみたい)や役者さんがうろうろしていて、特に役者さんは劇中とは全く異なる表情を見せてくれてなんだか不思議な感じ。さっきまで何とも言えない非日常的な言葉づかいをしていたような人が、高校生相手ににこにこしながら話かけたりしていて「当たり前だけどこの人たちも話せば普通の反応をしてくれんだよな」と思ったりした。
演劇の内容は、三本はチェーホフっていう有名な劇作家の作品。二本は新聞や憲法の文言を引っ張ってきて演劇の中に組み込んだもの。もう一つはブレヒトっていう劇作家の『ファッツァー』という作品。
結構古典を扱っているから、オーソドックスな演劇を見ているように思えるかもしれないけれど、その内実は全然オーソドックスじゃなくて、古典であっても演出家の人の独特の演出でちっともオーソドックスじゃないものになってる(演劇をちゃんと見るのなんて今回が初めてなのに、いきなりオーソドックスじゃないものを見てしまった)。
演出家の人はとても有名な人らしく、実際とても独特な演出をする。後でも述べるように、レクチャーの中で「芸術は充実した無意味である」っていう個人的には納得できる芸術についての定義づけが行われていたのだけど、演出家の人の演出は芸術における無意味を徹底したような演出であるように思えた。
例えば、劇中のセリフについて音節の区切り方を変えて不思議なニュアンスがでるようにしてみたり、ある場面でその場面にふさわしくないような過剰な動作やユーモアを織り交ぜたり、脚本が本来有している意味に対して別の意味をぶつけることで意味を混線させてぐちゃぐちゃにする(かといって、その意味を完全に理解できないかというとそんなわけでもない)。その結果として、なんだかざわざわした感覚が生まれて「うひょーおもしれー!」と感じることができる。
また、レクチャーもとても面白かった(個人的にはこちらの方が面白かったかも)。特に楽しかったのは芸術についての話。例えば、レクチャーの中ではこんな面白い言い回しに会うことができた↓(正確に覚えてるわけじゃないので、間違ってたらごめん)。
・哲学は正しいことしか言ってはいけないけれど、芸術は間違ったことを言っていい
・芸術とは「充実した無意味」である
・芸術とは「事故表現」である
などなど。
いきなりこんなことを書かれてもよくわからないと思うし、実際僕も良くわかってはいないのだけれど、要するに芸術とは何ぞやということについて、レクチャーを通じて考えを深めることができたような気がするんだ。
多分、芸術というのは世の中のあらゆる意味を相対化するような試みなんじゃないかと思う。僕たちが普段目にする現象は大体は意味にまみれたもので、その現象はどのような性質を持ったものかということについて共通了解が持たれているものばかりだけど、そうした現象が持つ既存の意味を相対化してまた別の意味を見出したり、そもそも既存の意味を無意味なものにするという営みが芸術なのではないかと思う。ただし、なんでもかんでも無意味にすれば良いというわけではなくて、それは「充実」したものでなければならない。多分、この充実を生み出せるか否かが芸術家になれるかどうかの境目なんじゃないかなと思う。
例えば、「CHITENの近現代語」という演劇では、大日本帝国憲法の条文や犬養毅の演説を既存の文脈から切り離して、演出を加えて再配置することで、そもそも大日本帝国憲法の条文や犬養毅の演説が持っていた意味や堅苦しいニュアンスを、全く別のものに変えていたように見えた。
ちなみに、演出を加えて再配置をすることで既存の意味を無意味化するときには、特に「既存の意味をこういう風に変えよう」というような意図はないそうだ。特に意図はないけれど、何らかのメカニズムが働いて、結果として別の意味になるか無意味なものになる。この「何らかのメカニズム」というのがあやふやなものだから、「芸術とは事故表現」なんていう表現がなされるのだと思う。
ただし、いかに芸術が既存の意味を無意味化することに成功したとしても、芸術(特に演劇)はそれを視る観客がいないと成立しない営みであり、観客は演劇に勝手に意味を見出すものだから、その意味で芸術は意味から自由ではないと言えるかもしれない。
こんなことについて色々と考えをめぐらすことができて、プログラムは全体的に単純に楽しかったんだ。
田中君は今後京都に住むことはないと思うけれど、演劇に関心を持っている後輩とかがいたら、ぜひ教えてあげてほしいです。それくらいおすすめです。
ただ、プログラムに参加していて、いくつか気になった点・違和感もあったんだ。そして、世の中にはこうした違和感を感じる人間ばかりが存在しているわけではないということも今回のプログラムで分かった。
つまり、自分の立ち位置みたいなものを相対化することができたような気がするんだ。これはプログラムの主旨とはあんまり関係のないものなんだけど、僕にとっては結構大切なこと。そして、プログラムに参加して一番面白いと感じたところでもあった。
特に違和感を感じたのは、政治やメディアに対する態度だった。
ここでは、あえて「左か右か」というわかりやすい構図を使って話をしたいと思う。もちろん、「左か右か」なんて構図はあまりにもわかりやすいもので、現実の大切な部分をかなりの程度捨象してしまうものだ。現実を的確にとらえることにはできない。そもそも、有斐閣が出している久米他『政治学』の最初の章で学ぶのは、左-右という政策対立軸の内実は近年実に多様化しているし、一般的なイメージで語られるほど単純なものではないということだから、政治学を勉強している人間としてもこういう構図を使って物事を語るのあまり望ましいことじゃない。それに、芸術が「充実した無意味」なのだとしたら、芸術についてこんなに意味にまみれた構図にあてはめて語るのは、随分と失礼な気がする。
それでもあえて、左-右を、「既存の体制(権力)に対して革新的な態度をとるか、保守的な態度をとるか」という二項対立として捉えた場合、このプログラムに参加していた人達や主催していた人達はは間違いなく「左」であり、僕は「右」だった。
プログラムを主催していた人達の態度や喋る内容は、端々に「左」っぽいニュアンスを含んでいたし、またそれにうなずいている観客の反応も「左」っぽいニュアンスを含んでいた。僕はどちらかというと自分がリベラルな人間だと思っていたので、自分以外の人間すべてが自分よりも「左」っぽいという空間が存在するということに、びっくりさせられたんだ。一体全体僕はいつのまに「右」っぽい人間になってしまったのか。
一番大きな原因は、僕が国家公務員の家庭に生まれてきたことだと思う。父がいつも夜遅くまで働いているのに、世間では官僚バッシングが行われていたものだから、「政府には一生懸命に頑張っている人もいるのに!」と強く思ったし、それ以来、政府であったりメディアであったり、権力性を帯びた場所で働いている人達を手放しで批判しているような言説に対して、反射的に嫌悪感を覚えるようになってしまった。
それと、政治学を専攻したことも原因かもしれない。政治学が誰に向けて書かれているかというと、一応市民に向けて書かれているという側面もあるけど、やっぱり基本的には政策決定者に向けて書かれているものなのだと思う。例えば国際政治学では、戦争について分析するときに、国家間で勢力が均衡しているときには戦争が起こりにくいという分析をしたりするけれど、こうした分析は市民にとってはあんまり意味がなくて、やはり政策を操作することができる人達にとって価値のある情報だ。こうした性格を持っている政治学を学んでいると、さも自分も政策を操作できる立場であるかのような錯覚に陥るもので、市民目線で政治を視るという感覚が損なわれているの
かもしれない。
で、ここからが大事なところ。
さっき、芸術は充実した無意味だという話をしたのだけれど、僕は、芸術が政治を扱う場合においては芸術は意味から自由じゃないように思えた。
芸術である演劇は、本来無意味なものであるはずだけど、どうしても政治に対する一定のスタンスが演劇から感じることができてしまう。もちろん、これは観客である僕が勝手に演劇に対して意味を見出してしまっているだけなのかもしれないけれど、芸術は観客が勝手に意味を見出すために意味から自由でないというだけではなくて、作り手が特定の思想信条を持っているために意味から自由でないということもあるんじゃないかと思った。
僕は、このことがどうしても気になってしまって、レクチャーの途中で「結局演劇に関わる人ってみんな政治的な立場は左なんじゃないの?」といった主旨の、ものすごーく失礼な質問をしてしまったんだ。演出家の人はこんな答えにくい質問に対して「左だよ」と真摯に答えてくれた。けど、それでもやっぱり個人の政治的信条と演劇とは分けて考えているとのことだった。
別に僕はここで、「結局演劇は意味から自由じゃないじゃないか!嘘つきー!」なんて主旨の批判をしたいわけじゃないんだ。もちろん僕は演劇が意味から自由じゃないように見えるけれど、そう見えるのは僕自身が意味から自由じゃないからかもしれないし、そうした可能性を棚上げにして一方的に相手を批判するのは良くないことだと思う。
ただ、それ以上に自分はリベラルだと思っていたけれど左-右という対立軸でとらえた場合(リベラルと左という言葉は同じ意味ではないと思うけれど)、「右」側の人間だということを実感したってことは、僕にとってはとても新鮮な経験だった。
別にここで「世の中には色々な人がいるということを忘れてはならない」とか「自分の視野が狭いということを反省しなければならない」なんて教訓めいたことを言うつもりはなくて、ただただ新鮮な経験をして面白かったということが伝えたい。
これはまっとうな芸術の楽しみ方ではないかもしれないけれど、というかもう芸術とは全く関係がないことかもしれないけれど、自分の立場を相対化して新たな視点を得るということは、人生における最も楽しい出来事の一つだと思うんだ。自分を相対化していく過程こそが人生だと言ってもいいくらい。今回のプログラムではそうした経験をすることができたし、やっぱりその意味でもとても充実してた。
ここまでつらつらと書いてしまって、メールをどう纏めればいいかよくわからなくなってしまいました(-_-;)
ただ、とにかくプログラムを通じて充実したし、興奮したし、あの時「カルチベートされてーなー」なんて馬鹿にしていたこのプログラムは、思っていた以上に楽しかったぞってことを伝えたかったのです。
田中君とは社会科学に関する議論ばかりしてしまったけれど、今度はもっとふわふわしたテーマで一緒に議論できたらいいなと思ってます。
これからもよろしくね。
地点という劇団の劇場に通っている。見つけた素敵なことをいつも共有し合うあなたにも観てほしい。が、「おもしろいから観に行こうよ!」と簡単には言えない私がいる。
実を言うと、初めて地点の演劇を観た翌日、共感してくれそうな友達に早速観劇をすすめた。「この演劇、おもしろかったよ!」と。劇場に足を運んだ彼女に後日感想を求めると、「うーん……私はだめだった。よくわからなくて。」と遠慮がちに言われてしまった。彼女はそれきり演劇を観に行っていない。言いたいことはわかる。わたしだってよくわからなかった。でもそこに不可解を越える魅力を直感的に見たため、ふたたび劇場に足を運んだ。その直感を今では、ラッキー! と思っている。
地点の演劇をおすすめする時には、適切な前置きが必要に思う。何の気なしに気軽に観ると「わからない」で終わってしまう危険がある。今回はしくじりたくない。あなたを上手に劇場に導くため、更に二度目の観劇に進んでもらうため、地点の演劇に関する私的な鑑賞のコツと、観劇がわたしにもたらした利点を紹介する。
差し出がましいながら、いち「地点先輩」として、演劇鑑賞を初回で挫折しない心得を経験談とともに語らせてもらう。まず、今あなたの想像する「演劇」も、「おもしろい」も、地点に見るそれとはきっと違う。地点の演劇には平素の「エンターテインメントの楽しみ方」が通用しない。私はこれまで、映画やドラマは概ねストーリーを楽しむものだと思っていた。ところが地点の演劇では話の流れのわかり辛いものが多く、物語が全く理解できずに終わってしまうことがあった。わからないものを一時間半観続ける、これは正直体力のいることだ。しかも自分にはこんなに不可解なのに、周りの観客は笑ってすらいる。それは孤独で不安なことだった。
現在私の実感として、演劇は多くの場合ストーリーで楽しむものではない。アンダースローで上演される作品はストーリーのわかり辛い(または無い)オリジナルや、古典・チェーホフの戯曲。地点のレギュラー演目は現在六つで、これを繰り返し上演し続けているため、アンダースローに通うということは、観た事のある演目を繰り返し観ることとなる。またチェーホフ作品は、演劇好きなら皆既に話の筋や台詞を知っているものだ。つまり演劇は古典の戯曲を繰り返し用い、再演もたびたび行うという理由から、多くの観客にとって物語は既知のものであるため、話の筋以外で観客を楽しませられないと持たない。同時に、演出はストーリーに対して説明的になる必要は無い。観客もそれを承知の上で、予めストーリーを知って観に行くか、それ以外の要素を楽しむつもりで臨まなければ、「話がわからない」で終わってしまう。
あるチェーホフ作品を観てしっくりこなかった私は、これ以上ストーリーに翻弄されないため、作品のテキストを読むことにした。既に上演を見て筋を知った話であるにも関わらず、舞台を観た後に読むテキストは驚くほどにおもしろかった。チェーホフの戯曲は元々台本として作られており、舞台風景から台詞まで詳細に記されているが、地点の舞台では台本通りに演じられておらず、のっけから構成が全く違っていた。ストーリー上大切に思われる導入の一幕も、大胆にも丸ごと切られていた。公演に採用された場面を読むと、劇中での俳優の独特のイントネーションが想起され、テキストから地点の舞台がありありと蘇ってきた。そののち再度公演を観ると、テキストと
舞台の違いがより強調され、劇団の放つ個性に感銘を受ける。ここにきて私は演劇の楽しみ方をストーリー以外に見つけることができた。劇団は、わたしの知っている物語をどのように調理するのか。物語の真意をどうとらえたのか。鑑賞の喜びは、ストーリーへのワクワクから、劇団のこしらえたトリックへのワクワクに変わっている。時には「好きなシーン、もうすぐくるぞ、くるぞ……きた!」と、知っているからこその喜びが生まれることもある。
考えてみると、歌舞伎や能、文楽などの古典芸能や、身近なところでは漫才や落語も、決まりきったストーリーに演出を加えて再演することが多い。ただ空間、時間、台詞、間、俳優など劇場内に存在するあらゆる要素が入り組み、効果的な演出がここまで要求されるものは、演劇に独特のように思う。演出家はあらゆる手を使い、戯曲を自分色に再構築する。特に地点では物語の要素は必要最低限に削ぎ落とされ、不親切に、わかり辛く、同時に新しい魅力をたっぷりと備え再構成されている。観るたびにこれまで気付かなかった要素に引っかかるので、次回も観ないわけにはいかない。今のわたしの日常で、すぐに答えの出ないものをわざわざ観に行き悶々とする機会は他にない。上演時間中は、劇団と観客の一筋縄ではいかない駆け引きが繰り広げられる。その刺激的な時間を、積極的に楽しむ。これが私流・観劇の心得だ。
次はまたまた差し出がましいながら、私の考える「地点をより楽しむコツ」を話したい。地点のおもしろさは公演だけにとどまらない。アンダースローでは是非、劇団とのおしゃべりを体感してほしい。わたしはいつもひとりで劇場に足を運ぶ。終演後、孤独に考えにふけりたい時には、まっすぐ帰る。感じたものを誰かと分かち合いたい時は劇場内のカフェでお酒を飲みながら、演出家、俳優、観客と話をする。作品鑑賞直後に作り手と会話を交わすことは、とても特殊な体験だ。演者や制作者に会えることは、昔から観客を劇場に通わせる大きな動機付けの一つだったのではないだろうか。制作者と話をすると、必然的により作品にのめり込むこととなる。コンビニエントに映像や画像で殆どの芸術を観られる今、作り手と話すことは劇場が存在する意味の一つに思える。
カフェに滞在すると演出家さんに舞台の感想を伝える流れになってしまうことが多いのだが、いつも緊張して生きた心地がしない。それは演出家さんが若干怖い(ありがたいことに、私の感想を「そんなことない!」と一蹴されることもある。)ということもあるのだけれど、なんというか、真剣勝負の心持ちになる。格好つけてその場しのぎの嘘を言っても意味がないし、見透かされる。ここでは世間に溢れる大人同士の予定調和やごまかし笑いがない。
アンダースローではまるで異次元のように、「言葉」の意味が違って感じられることが多々ある。舞台上では妙なイントネーションで台詞が発されるため、発語を集中して聞くことを強いられるが、注意深く聞く言葉は、特別な意味を持って観客に迫ってくる。上演後のカフェでも同じようなことが起こる。的確な表現を持つ演出家。探るようにゆっくりと言葉を発する俳優。会話中は私も言葉の真の意味、選び方に慎重にならざるを得ない。そして日々の自分がいかに浮かんだままを無責任に発してしまっているのかを実感し、反省することとなる。言葉と発言内容を強く意識させられるこの劇場では、真面目に遊ぶ考える大人たちが、考えない大人の幼稚な遊び方を正しているように感じられる。
さて、極私的・地点の演劇鑑賞の心得と、劇場でのお楽しみについて話してきた。どう思ったろう。興味は湧いたかい?
最後に伝えておきたいのは、地点の演劇を観て私の心や頭がどう変化していったかについてだ。まずひとつ、演劇が世界の縮図であることに気付いた。演劇にはテキストを生み出したクリエイター、それを編集し演出するプロデューサー、それを演じるアクターがいる。世間でも同じことが起こっている。今生み出されるものは全て既存のものの焼き直しであり、前述の三者で回っているのだ。ある時劇場で行われた講義で、小説家が「世の中は振り付けられている」と言った。皆演じている。または演じさせられている。世の中で起こる物事に、クリエイターは居るのか? プロデューサーは誰か? 私自身はどの役回りを担っているのか? 私は演劇を観始めて、世界のからくりを積極的に見つめるようなった。人を振り付け、人に振り付けられていることを自覚し、時には懐疑的に捉えるようになった。この変化を、自身の思考における前進と思っている。
もうひとつ。アンダースローで、考えることを改めて意識するようになった。初めて地点の演劇を観た時、これまでのエンターテインメントの鑑賞習慣通りに観ようとし、ストーリーが理解できず疲れてしまった。そのさまを今振り返ると、わたしは物事に惰性で対峙し、イージーに受け流そうとしていたのだと自覚できる。初観劇の感想はおぼろげなものだったが、そこで終わらずわたしがまた劇場に足を運んだのは、わからないことを面白いと思ったからだ。そして、自分の頭で考えないままに何かを得た気持ちになることに、疑いを持ち始めていたからだ。劇場に通ううち、演劇の観方と世界の見えかたが少しずつ変わってきた。初見でわからないものを受け入れる余
裕と、それについて考え自分なりに解決してゆく知恵、更にその過程をおもしろく感じる楽観性を、アンダースローで養っている。世の中で起こることは、物語のように筋が通っていない。だからこそ、簡単に答えの出ないものに積極的に関わるべきだと今は思っている。地点の演劇が見せる謎に触れ、自分の頭で考え、丁寧に言葉にしたいのだ。それをあなたにも体験してほしいと思っている。
長くなってしまったけれど、あらためて、心を込めてあなたを誘おう。一緒に、アンダースローへ行こう。