劇団CHITEN
2011 豊島公会堂 / 撮影:須藤崇規
CHITENの近現代語
ねえ、それじゃまるで僕たちは愛し合ってるみたいじゃありませんか?
そうでしょう。僕達を殺したり、僕達の悪口を言ったりするのは禁じられているんです。そういうシクミになっているんですよ。だからみんなニコニコしています。愛し合っているみたいなんです。
作品概要
『CHITENの近現代語』の前身は2006年に初演された『話セバ解カル』(後に『木堂先生』に改訂)。2011年夏に上演された『his master's voice』を経て、F/T「なにもない空間からの朗読会」のために制作された。日本の近代の始まりから終わり、すなわち大日本帝国憲法の制定から敗戦に至るまでを、文体も用途もバラバラな言葉をコラージュすることによって描いた地点の隠れた名作。カフェ・モンタージュでの継続的な上演により、磨きがかけられた。
言葉の強度って何だろうか? 例えばドストエフスキーの『罪と罰』。その強度はその長さ、つまり膨大な量によるのかと言えばそうではない。一人の殺人者の内面と環境を見つめるまなざしのしつこさにある。むしろ言葉にされたのはほんの一部に過ぎないのかもしれない。表面化されなかった言葉、いや言葉と呼ぶにはまだ早いもの、漠然とした思考のようなもの、それを感じるから、私たちは『罪と罰』を読み切るのは大変な作業だと思うのだ。目では追えない文字は読めないから。直接読むことのできない文字をどれだけ抱えているかどうかで、言葉の強度は決まる。これが私の文学への理解です。
そして人が言葉を声にすることは、だとすれば行間を読まなければならない文学への無礼であり、裏切り行為です。「あ、つい言っちゃった」ということが、「本音」として受け止められるのは、文学からすると嘘であり、偽善なわけです。演劇において、俳優が言葉を本音っぽく口にすることがリアリティーという名のもとに重宝がられているのは、演劇がまさにその嘘でどれだけ勝負できるかというひどく調子づいた行為だからです。この作品で意識したのは、調子づかないこと、言い方を換えれば、「あ、つい言っちゃった」が通用しない言葉をあえて扱うことでした。
三浦 基
出典:当日パンフレット(カフェ・モンタージュ公演)
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2011日程・会場2011.11.4 豊島公会堂
使用テキスト大日本帝国憲法(御告文・憲法発布勅語・本文)
朝吹真理子『家路』
玉音放送(終戦の詔勅)口語訳
日本記者クラブ公式記者会見記録(1975年10月31日)
別役実『象』
『犬養木堂氏大演説集』
日本国憲法前文
構成・演出三浦基出演安部聡子
石田大
窪田史恵
河野早紀
小林洋平スタッフ制作:田嶋結菜主催フェスティバル/トーキョー実行委員会
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2012日程・会場2012.6.7 / 8.14-15 / 11.27-28 カフェ・モンタージュ主催カフェ・モンタージュ
合同会社地点 -
2013日程・会場2013.8.11-15 カフェ・モンタージュ
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