2019 THEATRE E9 KYOTO / 撮影:寺司正彦
ハムレットマシーン
地形が、家族が、暴動が、役者が、アメリカが、血と肉が
たった15ページに展開されるイメージの応酬
暗く陰鬱な言葉からユーモアを抽出する〈歴史劇的牧歌劇〉!
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2019日程・会場2019.10.24-31 THATRE E9 KYOTO使用テキストハイナー・ミュラー『ハムレットマシーン』
『シェイクスピア 差異』
ウイリアム・シェイクスピア『ハムレット』
エウリピデス『エーレクトラー』
ソフォクレス『エーレクトラー』
ベルトルト・ブレヒト『ファッツァー』
『賭場の聖ヨハンナ』
エルフリーデ・イェリネク『スポーツ劇』翻訳谷川道子『ハムレットマシーン』 『シェイクスピア 差異』
福田恆存『ハムレット』
松本仁助 エウリピデス『エーレクトラー』
大芝芳弘 ソフォクレス『エーレクトラー』
津崎正行『ファッツァー』『スポーツ劇』
岩淵達治『賭場の聖ヨハンナ』演出三浦基出演安部聡子
石田 大
小河原康二
窪田史恵
小林洋平
田中祐気スタッフ美術:杉山 至
衣裳:コレット・ウシャール
照明:藤原康弘
音響:堂岡俊弘
舞台監督:大鹿展明 杉浦訓大
宣伝美術:松本久木
制作:田嶋結菜主催合同会社地点共催THATRE E9 KYOTO(一般社団法人アーツシード京都)助成文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
協力TMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)
『ハムレットマシーン Die Hamletmaschine』についての簡単な覚書
飯島雄太郎
1977年発表。演出家ベノ・ベッソンのために『ハムレット』を翻訳したのがきっかけとされる。
時代背景
第4幕「ブダのペスト グリーンランドをめぐる闘い」はハンガリー暴動(1956)をモデルにしている。民衆の側にも体制の側にもつけないハムレットの苦悩のうちに、当時の社会主義国における知識人の苦悩が投影されていると言われる。
読者/観客の連想を誘うテクスト
多義的なメタファー:第一幕の葬儀の場面のモデルはハンガリーの政治家、ライク・ラースローであるとされる。しかし抽象的な書き方がなされているため、作中の父をスターリンのこととも、より広く様々な父権的なもののメタファーとしても解釈できる。他にも「時計」や「機械」などいかようにも解釈できるメタファーが作中では多用されている。
無数の引用:ハムレットマシーンは有名無名の様々なテクストの引用からなっている。
「彼は最悪の時期に悪い風邪を引いた」→T.S.エリオット
「一切の社会機構を転覆させることが必要なのだ」→マルクス
「私は機械になりたい」→ウォーホール
「彼女が屠殺者の短剣をもっておまえたちの寝室を通り過ぎる時、おまえたちは真実を知ることだろう」→アメリカの連続殺人鬼スーザン・アトキンス などなど
以上のような特徴から、本作は言葉の潜在的なイメージに訴えることで、読者/観客の連想を誘発し、能動的に解釈するように仕向けるテクストだと言える。解釈を読者/観客に委ねるミュラーの作品観はロバート・ウィルソン演出の『ハムレットマシーン』に寄せた次のコメントからも窺うことができる。
ウィルソンは解釈しない、それはまったく本質的な特質なのだと思う。それが私には興味深い。テクストがそこにある、それが手渡される、価値づけられたり、色づけされたり、解釈されたりしない。そこにある。まったく同様にイメージもそこにある、それも解釈されることなく、そこ、それもそこにあって、解釈されない。それが重要なことだと思う。これはデモクラティックな演劇構想だ。解釈は観客の仕事であって、舞台で起こってはならない。観客からこの仕事を奪ってはならない。観客からこの仕事を奪うのは消費主義、噛んだものを食べさせる、それが資本主義の演劇だ。いま存在しているのはそれであり、余計なことなのだ。
出典:当日パンフレット