2004 アトリエ春風舎 / 写真:青木司
三人姉妹
いま夏なの 冬なの 気もつかずにいる人は幸福ね
わたし思うの モスクワへ行ったら お天気のことなんか
どうでもよくなるだろうと……
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2003日程・会場2003.7.3-9 シアターゼロ(ソウル)
2003.11.6-16 アトリエ春風舎(東京)原作アントン・チェーホフ翻訳神西清演出三浦基出演安部聡子
太田宏
大庭裕介
小河原康二
角舘玲奈
島田曜蔵
申瑞季
兵藤公美スタッフ美術:鈴木健介
照明:西本彩
音響:田中拓人
衣裳:すぎうらますみ
宣伝美術:京
制作:松尾洋一郎 澤藤歩 田嶋結菜
総合プロデューサー:平田オリザ主催(有)アゴラ企画・青年団ソウルフリンジフェスティバル正式招待作品 -
2004日程・会場2004.5.21-23 アトリエ劇研(京都)
2004.11.10-21 アトリエ春風舎(東京)出演安部聡子
太田宏
大庭裕介
小河原康二(京都公演のみ)
奥田洋平(東京公演のみ)
角舘玲奈
島田曜蔵
申瑞季
兵藤公美
山内健二アトリエ劇研演劇祭参加作品
劇評
三浦基はせりふから感情を抜き、すべての意味を排除した後、音符、あるいは騒音のように口から吐き出す音、言葉を追求する。どんな意味もなさない不条理な言葉が集まり、それら全体から人間模様を浮かび上がらせる。奇怪でもの寂しい感じのする地点『三人姉妹』は、70分1幕で進行され、休む暇なく俳優が吐きだすセリフがあたかも歌声のように聞こえる。 日常会話では見られない抑揚のある高低音のセリフに、既存の話を破壊したうえで、浮かび上がる言葉と、映し出される物語。俳優のセリフを通して『三人姉妹』が生きる世界を、妄想の世界へといざない、現実と乖離した彼等の存在のはかなさを残忍に表現している。
NAVERニュース 2003年
ハン・チョンリム
テキストをスコアのようにしてそれぞれが単独で意味や感情を剥奪して発語する台詞。物語の有機性を排除して存在の軌跡の無機的な交流がトーンを昴めて結晶を憧憬する…。チェーホフを現在に焼付け蘇らせるフォルム。三浦はこういう魅惑的な舞台を創出させたイマジネーションの源泉としてのチェーホフの豊かさを差し出したのだ。そして三浦の演出はベケットが語る「わたしが望むのは演劇に詩を持ち込むことです。虚空を通り抜けて新たな余白に新たな始まりを刻むような詩を。新たに広がる世界では、基本的にわたしが理解されるかどうかをあまり気にしません」(J・ノウルソン「ベケット伝」)というような態度から成果をもたらしたのだと思う。
シアターアーツ 2004年
江森盛夫
三浦の舞台には、いわば鋭く切り取られた「絵」と「音」がいつでも充満している。ごく普通の言葉で書かれた一連なりの台詞は、彼の演出にかかると、徹底的にバラバラな音のレベルにまで分断され、独特のイントネーションとアクセントを付与されて新しい音声/言語として再生される。 ただ、そうした彼の方法を「前衛的」という言葉で表現するのは間違いではないだろうか? むしろ彼の作品には、日本で現代演劇を成立させるためには、一見ねじれたように見えるものが、実はオーソドックスなのだと感じさせるパラドックスがある。例えば『三人姉妹』の演出にしても、なぜかバラバラな音の連なりにしてしまった方が、かえってチェーホフの台詞がストレートに耳に入ってくるのだ。多分それは、様々な方法で蓄積してきた日本語の台詞術が、実は「戯曲」にとって不透明な遮蔽物でしかなかったことの証拠なのである。
ユリイカ 2005年
森山直人