作品概要 体がちょっとずつ草になるという不治の病「冬虫夏草症」のために、小学校の卒業式の少し前からずっと入院している女。昏々と眠り続ける女が見る夢の世界が現実を浸食し、生死の境は曖昧になっていく。病室は水の入っていない水槽だから、水族館の魚を逃がしたいと願う女。他者との境界も薄れる意識のうちで、死んでゆく者、生まれていない者、失う者たちが、水の中で、夢の中で、泳ぎ、眠る――。第14回AAF戯曲賞受賞作品。

 

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撮影:羽鳥直志

 

 

2015  
日程・会場
2015.8.13-15 愛知県芸術劇場 小ホール
 
水都サリホ
演出 三浦基
出演 安部聡子
石田大
小河原康二
窪田史恵
河野早紀
小林洋平
田中祐気
スタッフ 舞台美術:長田佳代子
照明:藤原康弘
宣伝写真・美術:松本久木
制作:小森あや 田嶋結菜
プロダクションマネージャー:世古口善徳(愛知県芸術劇場)
制作統括:山本麦子(愛知県芸術劇場)
主催・企画制作 愛知県芸術劇場(公益財団法人愛知県文化振興事業団)
制作協力 合同会社地点
助成 平成27年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業

 

 

簡単な戯曲と難解な戯曲
 
 『茨姫』の上演依頼があって初めて読んだとき、まずい、これは難解な戯曲だと思いました。主題がよく分からないからです。何のためにこれを作者が書いたのかが不鮮明だからです。もし、この戯曲のある部分が、国語や小論文のテストの題材になって、作者の言いたいことをまとめなさいという問題が出されたら、合格する人は相当にレベルが高いことになるでしょう。簡単な戯曲にはテーマがあり、それが政治性であったり、民族性であったり、戦争であったりしますから、受験生はほっとするでしょう。
 次に、戯曲とは何か、という問題を考えなくてはなりません。テーマや物語が明解なものが、果たして良い戯曲なのかということについてです。その逆も慎重に考えなくてはなりません。つまりテーマや物語が複雑なものが、良い戯曲なのかと。そもそも戯曲にテーマや物語があって、それらを善し悪しの範囲に収めていいのかということも合わせて考えなくてはなりません。
今回の上演は、このようなまじめな問いを長年続けてきたAAF戯曲賞の企画です。つまり、戯曲とは上演を通してはじめて理解されるものだという、とても真っ当な考え方が、毎年受賞作を上演しているこの賞にはあります。今、「上演を通して」と言いましたが、必ずしも全ての作家がそれを望んでいるわけではないと思います。文学には、戯曲以外の形式がたくさんあるわけですから、むしろほとんどの作家は上演を前提にはものを書いていないわけです。戯曲とは何か、と言えばやはり上演を前提に書かれたものであるということになるでしょうか。
 実は、そうとも言い切れないのが、事を複雑にしています。例えば『茨姫』は全部で28シーンあり、場の設定も水族館であったり病室であったりとまちまちですから、作者が上演を前提にしているとは到底考えられません。では作者が近代劇であるところの自然主義リアリズム演劇に対する反発からこのようなファンタジーをあえて作り出し、そういう上演形態を強く希望しているとも考えにくいわけです。私が問題にしているのは、劇作家だからといって、上演を前提にはものを書いていないということです。もう一度、問いましょう。戯曲とは何か、と。上演されずに読むだけでも、読者の頭の中で繰り広げられる世界が演劇ならばそれを戯曲と呼んでもよいのではないか? そこで生じる問題があります。読者は、では何を演劇として想定しているのかという経験値の問題です。戯曲を文学的に読解する際、善し悪しの判断はできると思います。一読者の勝手な判断で済みますから。しかし、戯曲を演劇的に読解するというときに、善し悪しの判断は難解です。なぜならば、演劇は上演をしますから、すなわち観客という複数の読者たちが一堂に会しますから、勝手な判断がしにくいわけです。ここに演劇そのものが実は難解であり、一定の鑑賞ノウハウがないということの理由があります。
 『茨姫』には、問題がありません。問題がない、という問題があると言ってもいいでしょう。私がはじめてこの戯曲を一読者として読んだときの難解さはここにあります。何が演劇で前提とされているのかということが、問題にされてこなかった果てのひとつの極みのような戯曲だからです。「冬虫夏草症」という不治の病を設定して人間の生死感を問う、という答えを書いたらもちろん不合格です。ただの子供が夢みるお話、という答えの方がまだ合格です。さて、私たちはそれをわざわざ演劇で見る必要があるのか、とここではじめて観客が考えなくてはなりません。そう、観客はつらい者たちの集まりです。このつらさに我慢できないから物語の分かり易さ、テーマの鮮明さに逃げるのです。逃げるのは観客だけでなく作家だってそれに加担します。『茨姫』ではそれができない。そういう意味で難解な戯曲ですし、こうして上演という真っ当な手続きをしていること自体、不思議な行為だと思います。私たちにとってこの国で演劇をやる/見るということ自体がとても難しい行為なのだという確認ができればまずは幸いです。
 長くなりましたが、今度からAAF戯曲賞の審査員を務めることになりましたから、これを機に観客のみなさんと悩みたいと願っています。
 最後に、個人的なことを言わせてもらえば、私自身は悪人ですから、この度の『茨姫』をめちゃめちゃおもしろく作りました。のでよろしく。
 
三浦基

出典:当日パンフレット