『罪と罰』特設サイト企画

対談 伊藤愉×三浦基 123


 

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ロシア演劇の今後

 

三浦:今、ロシアの演劇シーンとして心理主義以外の演技っていうのは何かありますか?

 

伊藤:俳優の演技のあり方と演出のあり方っていうのは別のフェーズになっていて、演出家がしたいことがあって、俳優はそこに自分たちを当てはめていく形。ただ、その土台にあるのはスタニスラフスキー・システムなので、でも彼らはどこにでも当てはめることができるという前提でやってるので、演出がサーカス的であれば、サーカス的な様式の中に自分をはめていきますし、あるいはカーニバル的であればカーニバル的なところに形をいれていきますし、彼らはぶれずにあり、演出家それぞれに応じて形を変え、応えていくスタイルだと思いますね。さっきの三浦さんの言っていたことと同じかもしれませんが、僕がロシアに3年住んでみて思ったのは、ロシア人の役者は確かにうまい。でもそのロシアで演劇をやっている人達は、うまくなくてもいいことがあるって事に気付いたらもっと面白くなるのになって思ったことはありました。俳優のうまさって観客として見る上では安心しますし、それが面白さをつくり上げている場面は当然あるんですけど、結局見る側も人なので、人の面白さが演技の技術を上回る場面だってあるじゃないですか。そういうものがあったら面白いのになって思っています。

これはロシアだけでなく世界的にそうなのかもしれないですが、最近ドキュメンタリー演劇というのが盛んになってきて、そこではプロの役者だけでなく、素人の人も舞台に出る。例えば中央アジアからの出稼ぎ労働者が自分のヒストリーを舞台上で話すと、それはその人でしか語れないヒストリーがあって、ビザの問題とか、それを申請しに役所に行ったらたらい回しにされて、そのまま工場に行ったら、工場でもビザが更新できないんだったら働かせないみたいな。それで突然故郷の歌を歌い始めるみたいな舞台なんです。そこに演技としての上手さはないんですが、ただヒストリーとしての面白さってのはあります。ただ単純に吐露しているというよりは、やっぱりそこをどう見せていくかという演出が当然入っていて、その辺りの面白さっていうのはありますね。

 

三浦:でもドキュメンタリー演劇はロシアでは流布しないでしょう。あれだけ劇場が俳優を抱えているから、そのシステムが壊れない限り出てこないと思うけどな。

 

伊藤:それが最近、日本語で言うところの自主公演というか、劇場を持たないグループでやりだす人達がすごく多くなって、特にサンクトペテルブルグに多いです。

 

三浦:“役者のたまり場”っていう劇団がいて、レンソビエトかどこかの劇場を借りて、それが『罪と罰』をやって評判なんですよ。

 

伊藤:そうなんですか。そういう劇場を持たないところが作品をつくって、それが今おっしゃったように評判になるって話が結構あって、それが実は単純に愛好者達が集まって、演劇が好きだからやっているというのではなくて、みんなちゃんと作品としてつくっている人たちなので、例えばゴールデンマスク賞(ロシアで最も大きい演劇祭)にノミネートされたりしてるんですよね。

 

三浦:そういうことが起こってはきているのね。ただ、自主公演でもアカデミー出身とか、結局結構エリートなんだよね。

 

伊藤:そう、基本的にはそうなんです。

 

三浦:日本の小劇場とか大学のサークルレベルではないですよね。

 

伊藤:ではないです。そこの子達もみんな、基本的には演劇大学を出てる子たちです。

 

三浦:ロシアでも劇場に囲われた作品ではなく、プロデュース公演も確かに出てきてる兆しはあるし、作風も変わってきてるんでしょうね。でもその人たちも、スタニスラフスキー・システムがベースにあるんだよね。

 

伊藤:ベースにあります。それがロシア演劇としての強度でもあるし、あるいはそこに留まっている場所でもあるとも言えるかもしれないです。あとは、ポジティブに言うか、ネガティブに言うか、切り取り方によって見方が全然違ってくる。プロデュース公演をする人たち用に、場所を貸し出すような貸し小屋的な劇場も出てきていて、例えば、サンクトペテルブルグだとアレクサンドリンスキー劇場が「新舞台」という分館をつくっていまして、そこは貸し小屋形式なんですよ。玉石混合でいろんな若手が集まってきて作品を上演しているんですが、お金払えば誰でもいいというのではなくて、プロデューサーがいて、その人にまず提案を持っていくプロデュース形式になっていて、日程とやりたいことが合えばやっていいですよ、となる。予算的に劇場がどこまで援助するかはプロダクションごとにそれぞれ違いますけど、そういう若手をすくい上げ、循環させるようなことをやっています。

 

三浦:BDTで置き換えると、マグーチー監督って工業大学航空学科にいて飛行機の勉強してた変な人なんですよね。そういう人が芸術監督に就任してしまう、これもアウトローのひとつの典型なんですよね。マグーチー監督が日本で僕の『ミステリヤ・ブッフ』を見て、空間現代をひどく気に入ったんです。はっきり言って彼は僕より空間現代の方が好きですね。今度、『罪と罰』を上演する時に、それに合わせて空間現代のコンサートも彼が率先して企画するんですよ。白夜祭に持っていけないかとか。イベント的に、演劇だけじゃない形、アートも含めての、つまり空間現代はオルタナティブで、マグーチーがいわゆるロックバンドっていう感じでもないものに興味を示してることは確かだし、そういった裾野が広がってるというのは確かに印象としては受けますよね。そういう中で、老舗の劇場がこういう大作をわざわざ日本人にやらせるってのは、僕は嫌がらせだと思ってます。プレッシャーが強すぎますよ。自分でやればいいじゃん!と思うけど、それは多分面白くないのでしょう。オルタナティブなところから、外側から刺激を与える。サンクトペテルブルグが舞台になってる『罪と罰』を、例えばシベリアのさらに向こうの、東の果ての国の日本人が演出させたら、でもコンテンポラリーなんだけどね、みたいなことって商売としてすごくうまいんですよね。座組も結構若い人を中心に組めましたし、そういう意味ではロシア、サンクトペテルブルグの今の潮流である演劇シーンに乗せられてるのかなと感じています。

 

 

伊藤愉 Masaru Ito|北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター非常研究員。専門はロシア演劇史。2011-2014年、ロシア国立舞台芸術大学(GITIS)留学。編訳書にキャサリン・ブリス・イートン『メイエルホリドとブレヒトの演劇』(谷川道子と共編訳)、玉川大学出版部、2016年。訳書にエドワード・ブローン『メイエルホリド 演劇の革命』(浦雅春と共訳)、水声社、2008年。書著に永田靖他編『歌舞伎と革命ロシア──市川左團次一座の1928年ソ連公演と日露演劇交流』森話社、2017年、菅孝行編『佐野碩 人と仕事:1905-1966』藤原書店、2015年など。

 


 

バフチン

ミハイル・ミハイロヴィチ・バフチンは、ロシアの哲学者、思想家、文芸批評家、記号論者。対話理論・ポリフォニー論の創始者。記号論のタルトゥー学派の祖。 オリョールに生まれ、ノヴォロシースク大学から転学、ペテルブルク大学を1918年に卒業。 革命後の混乱の中、匿名の学者として活動。

 

ポリフォニー

ロシアの文芸学者であるミハイル・バフチンが対話原理を文学に導入し、著作『ドストエフスキーの詩学の諸問題』(1929、邦訳:『ドストエフスキーの詩学』)で提唱した芸術思想。バフチンは言語芸術の創作における題材やジャンル、プロット等の選択を支配する作者の創作姿勢や創作方法の特徴を「詩学」の問題とし、ドストエフスキーの小説がもつ原理的革新性を「ポリフォニー小説」「カーニバル文学」として定義づけた。ポリフォニーとは本来、多声音楽やその作曲様式を意味する音楽用語であるが、バフチンは作者が登場人物を意のままに操り、それを通して作者の思想を表現するという既存のヨーロッパ的形式をもつ小説(モノローグ小説)とは対照的に、ドストエフスキーの小説では登場人物が作者と対等の存在として設定され、それぞれのイデオロギーや階層といった社会的差異を前提としつつ、融合していない自立した複数の声や意識が織りなす対話的関係によって、高度な統一を実現していく構造をもつことを指摘した。

 

ムハット

モスクワ芸術座の略称。モスクワにあるロシアの劇場である。コンスタンチン・スタニスラフスキーとヴラジーミル・ネミローヴィチ=ダンチェンコにより1897年に設立された。古儀式派資本家のサッバ・モロゾフが最大の出資を行い、彼はスタニスラフスキーとネミローヴィチ=ダンチェンコとともに初期の運営上の決定を行っていた。ロシア演劇におけるリアリズム演劇を確立し、世界の演劇界に多大な影響を与えた。

 

BDT(ボリショイ・ドラマ劇場)

1919 年に創立されたサンクトペテルブルグを代表するドラマ劇場。20 世紀初頭にはロシアを代表する詩人アレクサンドル・ブロークやゴーリキーらが関わる。1956 年、グリゴリー・トフストノーゴフが主席演出家になり、黄金時代を築く(1987 年、来日)。2013 年よりアンドレイ・マグーチーが芸術監督をつとめる。正式名称の「トストノーゴフ記念ボリショイ・ドラマ劇場」ではなく、略称であった「BDT(ロシア語の発音ではベーデーテー)」をより強く打ち出しているのはマグーチー芸術監督に変わってから。

 

ナボコフ

ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフは、帝政ロシアで生まれ、ヨーロッパとアメリカで活動した作家・詩人。少女に対する性愛を描いた小説『ロリータ』で世界的に有名になる。昆虫学者、チェス・プロブレム作家でもある。アメリカ文学史上では、亡命文学の代表格の一人である。

 

ジャック・コポー

ジャック・コポーはフランスの演出家、俳優。パリ生まれ。

1909年ジッドらとともに雑誌「NFR」の創刊に参加。’13年ヴィユー・コロンビエ座を創設。簡素な常設舞台をつくって、シェークスピア、モリエールなどの作品の斬新な演出をして、演劇革新運動を展開、デュラン、ジューベらの優れた弟子を育てた。

 

カウリスマキ

アキ・カウリスマキはフィンランドの映画監督。初の長編作品『罪と罰』がフィンランド国内で注目される。2002年、『過去のない男』で第55回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞。2017年、『希望のかなた』が第67回ベルリン国際映画祭で上映され、銀熊賞 (監督賞)を受賞。

 

メイエルホリド

フセヴォロド・エミリエヴィチ・メイエルホリドは、ロシア・ソ連の俳優・演出家。俳優としてモスクワ芸術座の創立に参加したが,スタニスラフスキーらの自然主義にあきたらず退座 (1902) 。女優 V.コミサルジェフスカヤらと組んで演劇の様式性と多様性の舞台的表現に努めた。革命後はメイエルホリド劇場の主宰者となり(20~38) ,俳優の肉体の律動性を強調するビオメハニカ (生物力学) の実践と構成舞台によってソ連演劇に大きな影響を与えた。

 

スタニスラフスキー・システム

ロシア・ソ連の演劇人で、俳優兼演出家であったコンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱した演技理論。その背景には、フロイト心理学の影響があると言われる。 俳優の意識的な心理操作術を通じた、人間の自然による無意識の創造を目的とする。

 

マグーチー

アンドレイ・マグーチーはロシアの演出家。1961年生まれ。1984年レニングラード航空工科大学無線技術学部卒業。1989年レニングラード文化大学演出俳優学科卒業。同年、演劇グループ「形式演劇」を立ち上げる。2013 年よりサンクトペテルブルクのボリショイ・ドラマ劇場芸術監督。モスクワやフィンランドでも演出の仕事を行う。主な作品にサーシャ・ソコロフ『馬鹿たちの学校』(エジンバラ演劇祭フリンジ賞/ベオグラード演劇祭大賞)、『アリス』(アリーサ・フレンドリヒ主演、2015 年ゴールデンマスク演劇賞受賞)など。

 

レンソビエト

サンクトペテルブルグ・アカデミー・レンソビエト劇場。1933年、メイエルホリドの教え子だったイサアク・クロリが仲間たちとともに設立した「新しい劇場」に起源をもつ。1953年に名称をレニングラード・レンソビエト劇場と改め、著名な俳優が数多く所属し、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)を代表する劇場として名をはせる。ソ連崩壊後の1991年以降は現在の名称。2019年5月から女優のラリサ・ルピアンが芸術監督を務める。

 

空間現代

2006年結成。メンバーは野口順哉(gt/vo)、古谷野慶輔(ba)、山田英晶(dr)。編集・複製・反復・エラー的な発想で制作された楽曲を、スリーピースバンドの形態で演奏。これによるねじれ、 負荷が齎すユーモラスかつストイックなライブパフォーマンスを特徴とする。地点との共同制作にブレヒト作『ファッツァー』(2013年)、マヤコフスキー作『ミステリヤ・ブッフ』(2015年)、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』(2017年)、太宰治原作『グッド・バイ』(2018年)。2016年、京都・錦林車庫前にライブハウス「外」をオープン。2018年、空間現代×坂本龍一『ZURERU』をリリース。2019年、ニューアルバム『PALM』を世界流通盤としてリリース。

 

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